人妻Resort あさみ55歳
【第1部】夜のタクシーとソファの寝顔──55歳女上司と28歳部下の距離が静かにずれるまで
私は東京都内の中堅商社で営業部の課長をしている、
藤堂頼子・55歳。
数字に追われる生活はもう何十年も続いていて、
男ばかりの役員会で声を張り上げることにも慣れた。
クライアントの無茶な要求を、笑顔のまま突き返すのも得意だ。
ただ、
家のドアを閉めた瞬間に訪れる静けさだけは、
いつまで経っても慣れることがなかった。
あの冬の忘年会の夜もそうだった。
営業一課の忘年会は、毎年少しだけ騒がしい。
若手たちの冗談、上司の武勇伝、
テーブルを埋めるグラスの列。
その中で、私の視線が何度も止まる先があった。
田島健・28歳。
東北の小さな町から出てきたという、まだ二年目の営業。
要領がいいタイプではないけれど、
泥だらけになりながら数字を追いかけるその姿勢が、
昔の自分に重なって見えることがある。
「今年も一年、おつかれさま」
そう言って彼とグラスを合わせた瞬間、
田島くんの指先が、私の指にかすかに触れた。
ほんの一瞬。
気のせいと言い聞かせれば、すぐに忘れられる程度の接触。
それなのに、
賑やかな店内のざわめきから切り離されたように、
その体温だけが、やけにくっきりと残った。
(…疲れているんでしょう、私が)
一次会、二次会、三次会と、
例年通りのコースをこなしていくうちに、
時計は午前3時を回っていた。
店の前に出ると、
冬の冷たい空気が一気に頬を刺す。
「田島くん、帰り、どうするの?」
マフラーを整えながら何気なく訊ねる。
部下への気遣いのつもりで口にしたはずの一言。
彼は肩をすくめて、
少し照れたように笑った。
「この時間だと…始発までネットカフェですかね。
泊まるお金ももったいないし」
(この冷え込みで、あの薄いコート一枚で…)
想像した瞬間、胸の奥で何かがきゅっと軋んだ。
気づけば、
私は**「課長」としてではなく**、
ひとりの人間として口を開いていた。
「風邪ひくわよ。うち、タクシーで10分だから。
ソファ空いてるし、一晩くらいなら貸してあげる」
できるだけ、
さらりと言うように努めた。
コピーを頼むときと同じ調子で。
「特別なことじゃない」と、自分に言い聞かせるために。
タクシーの後部座席。
夜の街のネオンが、フロントガラスの向こうで流れていく。
隣に座る彼の横顔が、
街灯に照らされてふっと浮かび上がった。
細く整った鼻筋、
首元に落ちる影、
少し疲れの残る目の下。
(28歳って、こんな顔をしていたかしら)
会社で見る彼は、
いつもスーツと数字と資料に囲まれた「部下」の表情だ。
今、こうして横顔を見ていると、
その輪郭の向こうに、
見落としていた「ひとりの男」の気配がほんの少しだけ見える気がした。
「田島くん、今年、本当に頑張ったわね」
思わず、窓の外を見たまま本音がこぼれる。
「課長の追い込み、正直えげつなかったですけどね」
言葉だけ聞けば不満のようで、
声音にはほんの少しだけ信頼が混じっていた。
「それでも、ついてきてくれたでしょう?」
ありがとうと素直に言えない代わりに、
私はいつもこうやって遠回しにしか感謝を渡せない。
マンションに着き、
いつもの動作でリビングの灯りをつける。
白とグレーで整えた部屋。
自分の居場所のはずなのに、
誰かを招き入れた瞬間に、
どこか「別の女性の生活」を覗いているような気分になる。
「ソファ、ここね。ブランケットもあるから」
彼をリビングに通し、
ふと、その姿と部屋の色が思いのほか馴染んでいることに気づく。
「コーヒーでも淹れようか?」
形式上、引き返せる選択肢を提示してみる。
けれど彼は苦笑いして、
ソファの背に体を預けながら首を振った。
「横になったら…多分秒で寝ます」
「ふふ。じゃあ、これだけ」
そう言って、
ブランケットを膝から肩へとそっとかけていく。
指先が、ジーンズの布越しに彼の脚に触れる。
その一瞬、自分の心臓が跳ねたのを、
キッチンへ向かう足音でごまかした。
食器を片付ける音を背中で聞きながら、
ふと振り返ると、彼はもう深く眠り込んでいた。
ブランケットの隙間から覗く指先、
緩んだ口元、
静かな寝息。
(本当に、限界まで走ってたのね)
そう思うと、
胸の奥で何かが柔らかくほどける。
そっとブランケットを肩まで引き上げ、
指先で乱れた前髪を整える。
その動きが、
仕事のときの「課長の手」ではなく、
もっと個人的な、
「ひとりの女」の手つきになっている気がして、
私はそっと視線を外した。
「……おやすみなさい」
誰に聞かせるでもない声でそう告げて、
リビングの灯りを落とした。
その瞬間から、
私の中の何かが、
もう元の場所には戻らない──
そんな予感だけが、静かに灯っていた。
【第2部】土曜のインターホンとハーブティー──年の差上司と部下の「一線の手前」で揺れる心と体
翌週は、
目の前の仕事がいつも以上のスピードで流れていった。
新規案件の最終プレゼン、
クレーム対応、
月末の数字の詰め。
いつもなら、
テンポよくさばいていくはずのタスクたち。
けれどパソコンの画面から目を離した一瞬、
私の頭に浮かぶのは決まって、
あのソファで眠る彼の顔だった。
ブランケットの影、
眠りに落ちきる前の、わずかに緩んだ眉。
(…何を考えているの、私は)
自分を叱るように、
次の資料に目を走らせる。
木曜日の夕方。
彼の提出した書類にハンコを押して戻したとき、
指先が机の上のスマホに触れた。
胸の奥で、
「連絡するな」と「声が聞きたい」が、
せめぎ合う。
迷いを、わざと短い文面に押し込んで送信した。
《土曜日の夕方、時間ある?
ジャケットとコート、クリーニング上がってるわ》
送信ボタンを押した瞬間、
小さな後悔が喉元をかすめる。
(これはただの「忘れ物の連絡」。
それ以上の意味を欲しがっているのは、私のほう)
数分後。
画面に表示された短い返信。
《ありがとうございます。夕方なら伺えます》
それだけの文字列なのに、
心の内側に、ほのかな温度が灯る。
土曜日。
窓の外の光が傾き始めたころ、
インターホンが鳴った。
私は、
会社のスーツではなく、
白いシャツと黒のパンツという、
少しだけ力を抜いた服を選んでいた。
モニターに映る彼の顔は、
平日の張り詰めた表情とは違う、
少しあどけなさの残る素の顔だった。
「いらっしゃい」
ドアを開けると、
外気の冷たさといっしょに、
澄んだ冬の匂いが流れ込んでくる。
リビングには、
前よりもしっかりと暖房を効かせておいた。
アロマディフューザーから漂う柑橘系の香り、
テーブルにはハーブティーと、
小さな皿に盛ったチーズとナッツ。
「今日は、お酒はやめておきましょう。
酔った勢い、って言い訳にしたくないから」
冗談めかしてそう言いながら、
これは彼に向けた言葉であると同時に、
自分自身への釘でもあると感じていた。
彼の喉仏が、
ごくりと小さく上下する。
ハーブティーをカップに注ぐ手元には、
自分しか気づかない程度の震えがあった。
「この前はごめんなさいね。
疲れているのに、あんな時間まで付き合わせて」
本当に謝りたいのは、
別のことかもしれない。
けれどそれはまだ、
言葉にすると形がつきすぎてしまう気がした。
「いえ…助かりました。
正直、あのまま帰ってたら倒れてたかもしれません」
「倒れられても困るけれど」
つい、
いつもの課長らしい返し方をしてしまう。
でもすぐに、
マグカップの縁を指でなぞりながら、
本当の声がこぼれた。
「私ね、この歳になって思うの。
数字や評価は、私を守ってくれたけれど…
家に帰ってドアを閉めた瞬間に、
今日あったことを話す相手がいないって、
想像以上にこたえるのよ」
彼はカップを持ったまま、
静かに私を見ていた。
「だから、つい…部下に甘えたくなるときがあるの」
やっと絞り出したその言葉を、
私はマグカップの湯気の向こうに隠した。
「甘える、って…藤堂課長が?」
本気で意外そうな声に、
思わず笑ってしまう。
「あなたには、つい本音を話してしまうのよ。
真面目で、でもどこか無茶をしそうな顔をしているからかしら」
返事を急かさずに、
少しだけ沈黙を置いた。
窓ガラスに映る二人分の影。
それが、
さっきよりもわずかに近づいているように見える。
(踏み込めば、戻れなくなる)
その予感が喉元まで上がってきたとき、
自分でも驚くほど真っ直ぐな言葉が口をついた。
「田島くんは、どう?
私のこと、上司としてしか見ていない?」
空気がきゅっと締まる。
彼の視線が泳ぎ、
喉仏がもう一度、小さく跳ねた。
「……最初は、そうでした」
「最初は?」
続きを促す声は、
自分でも少しだけ震えていた。
「でも…あの日、ソファで寝かせてもらったとき。
スーツじゃない課長を見て、
すごく…綺麗だと思いました」
その言葉が落ちた瞬間、
胸の奥で何かが大きく波紋を広げた。
(綺麗…)
この年齢になって、
そんなまなざしで見られることがあるとは思っていなかった。
「それは、女として褒められている、でいいのかしら」
少し意地悪な聞き方をしてしまうのは、
照れ隠し半分だった。
「……はい」
短く、
けれどはっきりとした返事。
私は、
テーブルの上に置かれた彼の手をそっと見つめた。
そして、
逃げ道を残したまま、
自分からその上に手を重ねる。
「ここから先は、あなたが決めて。
嫌なら、すぐに手を離していいから」
上司として、年長者として、
この関係の重さを一番よく分かっているのは、
きっと私だ。
だからこそ、
最後の境界線を越えるかどうかだけは、
彼自身に委ねたかった。
静かな沈黙。
時計の秒針の音だけが、
部屋の中でやけに大きく響く。
数秒後。
田島くんの指が、
きゅ、と私の指を握り返した。
「…離したく、ないです」
その瞬間、
胸の奥にかかっていたブレーキが、
静かに外れていく音がした。
【第3部】合意のキスと揺れるカーテン──「課長」を脱いで女になった夜の体温と余韻
最初のキスは、
驚くほど静かなものだった。
触れる直前、
ほんの少しだけ彼の瞳を覗き込む。
「本当に、いいのね?」
最後の確認。
それでもまだ、
彼の背中に逃げ道を確保しておきたかった。
田島くんは、
迷いの残る瞳で、それでもはっきりと頷いた。
唇が触れ合った瞬間、
胸の奥で、
長いあいだ凍らせていた何かが溶けていく。
会社で見せるきびきびとした動きとは違う、
ゆっくりとした仕草で、
私は彼の首に腕を回した。
距離が近づくたびに、
彼の体温が胸元に染み込んでくる。
理性はまだ、
耳元で小さくささやき続けていた。
「あなたは上司でしょう」
「年齢差を考えなさい」
「明日から何事もなかった顔でいられるの?」
でも、
彼の腕がそっと私の背中にまわり、
ためらいがちな力で抱き寄せられたとき、
その声は遠くなっていく。
シャツ越しに伝わる鼓動が、
私の胸の高鳴りと重なって、
境界線が曖昧になっていく。
「……田島くん、怖くない?」
彼に向けた問いでありながら、
本当は自分自身への問いでもあった。
「怖いです。
でも…それよりも、
今は課長のそばにいたいです」
かすれた声が、
首筋に触れる息と一緒に落ちてくる。
その言葉に、
私はもう一度、
深く唇を重ねた。
ソファからゆっくりと立ち上がり、
彼の手を取る。
指と指が絡む感触に、
心臓が早鐘を打ち続けているのが分かる。
寝室のドアノブに手をかける前、
私は振り返って彼を見た。
「忘れないで。
これは、私が命令したことじゃない。
あなたが、自分で選んだ夜よ」
上司と部下という関係だからこそ、
この言葉だけは、どうしても伝えておきたかった。
彼は、
まっすぐな眼差しで「はい」と答えた。
その一言に、
私はやっと、
自分を少しだけ許せた気がした。
ドアを閉めると、
カーテンの隙間から洩れる街の光が、
室内の空気を淡く照らす。
影が重なり、
距離が縮まる。
キスを重ねるたびに、
互いの呼吸が少しずつ乱れていく。
名前を呼び、
呼ばれる。
その響きが、
仕事中とは全く違う色で胸に落ちてくる。
彼の指が、
迷いながらも少しずつ私に触れてくるたび、
身体のどこかで、
忘れていた感覚が目を覚ます。
長い時間、
仕事という鎧の下に沈めていたものたち。
それらが、
彼の体温に触れながらひとつずつ輪郭を取り戻していく。
窓の外で、
風がカーテンを静かに揺らす。
その揺れは、
やがて訪れる波の前触れのようでもあり、
ひとつの境界線が溶けていく合図のようでもあった。
どれくらい時間が経ったのか分からない。
ただ、
全てが静かになった頃、
私は天井を見つめながら、
ゆっくりと息を整えた。
暗闇の中で、
隣に横たわる彼の気配だけがはっきりと分かる。
「……後悔、してる?」
自分でも驚くほど小さな声で、
そう訊ねた。
「怖さはあります。
明日のこととか、会社のこととか…
考えたらキリがないですけど」
そこで一度言葉を切って、
彼は続けた。
「でも、後悔は…してないです。
これは、俺が決めたことだから」
ひと呼吸置いてから落ちてきたその言葉に、
喉の奥で何かがほどけた。
思わず、
自分でも驚くほど柔らかい笑い声が漏れる。
「そんなこと言うから、
またあなたのこと、好きになってしまうじゃない」
55歳にもなって、
こんな台詞を口にするなんて思ってもみなかった。
彼が、
困ったような、嬉しいような声で笑う。
その肩の感触が愛しくて、
私はそっと目を閉じた。
あの夜、
私たちは確かに、
「上司と部下」というラベルの線から一歩はみ出した。
それはたぶん、
褒められるものではないのかもしれない。
けれど、
互いに目を逸らさず、
迷いも怖さも抱えたまま選んだ、
合意の一歩だった。
まとめ──「課長」を脱いで、ひとりの女として選んだことは間違いだったのか
もしこの体験を誰かに話したら、
きっと眉をひそめられるだろう。
「年上の女上司」
「年下の部下」
「同じ職場」
「二人きりの部屋」
並べただけで、
いかにも「都合のいい物語」の材料になってしまう要素ばかりだ。
でも、
私の中にひっそりと残り続けているのは、
そんな単純なラベルでは言い表せない輪郭だ。
最初は、ただの「部下」だった。
数字を任せられる人材として、
時には厳しく叱り、
時にはフォローして引き上げたいと思える存在。
けれど、
忘年会の夜に見えた素の表情や、
ソファで眠る無防備な横顔、
土曜日のハーブティーの湯気の向こうで見せた不器用な優しさ。
それらが少しずつ重なっていくたび、
田島健という人物は、
「優秀な部下」から
「ひとりの男」へと輪郭を変えていった。
上司としての倫理も、
年齢差という現実も、
会社という枠組みも、
全部分かったうえで、
私は彼の手を取った。
だからこそ、
あの夜、あの瞬間、
私はあえて言葉にした。
──これは、私が命令した関係じゃない。
あなたが、自分の意志で選んだ夜よ、と。
あの一歩が、
これからどこへ向かっていくのかは分からない。
ゆっくりと育っていくのかもしれないし、
どこかで突然終わるのかもしれない。
周囲から見れば、
「間違い」だと言われる可能性も高い。
それでも、
あの冬の夜、
55歳の私は、
課長としてではなく、ひとりの女として
自分の寂しさと欲望を、正面から見つめた。
その結果として伸ばした手を、
28歳の彼が、
迷いながらも受け取った。
その事実だけは、
誰が何を言おうと、
私の中で静かに光り続けるのだと思う。
甘くて、
少し苦くて、
それでも確かに温かい、
冬の夜の体温として。




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