1 はじまりの視線
「温泉旅行、行かない?」
その一言をくれたのは、バイト先で一緒に働く、浩介だった。
春を目前に控えた三月の終わり、少し肌寒い空気の中、私たちは男女五人、車一台で温泉宿へ向かった。
小さな宿だけれど、露天風呂は貸し切りができて、夜の山に囲まれたその場所は、まるで異世界のような静けさを纏っていた。
チェックインして部屋に入ると、私はまず浴衣に着替えた。
胸元が緩やかに開いたその布地の感触だけで、なぜか身体が敏感になっていくのがわかった。
そして、宴会が始まった。
笑い声。お酒。冗談。たまに誰かの悪口。
わたしも笑っていた。でも、それは表面の笑顔だった。
ずっと、彼を意識していた。
浩介は私の正面の斜め、少し離れた場所に座っていた。
時折視線が交錯し、ほんの少し、目が合った。
けれどお互い、なにも言わなかった。
視線だけで、なにかを囁いていた。
私の身体の奥が、少しずつ熱を帯びていく。
「……みんな、潰れたね」
彼がつぶやいたとき、私は浴衣の裾を指先で撫でていた。
意識的に。無意識に。
「ねぇ、ちょっと……外の、露天風呂、行かない?」
わたしの声は、すこし震えていた。
けれどそれは恐れではなく、期待の熱だった。
彼は、黙って頷いた。
その頷きがすべてだった。
2 湯けむりの先、ただふたり
部屋を抜け出すと、山の夜はしんと静まり返っていた。
貸し切りの札を下げ、露天風呂へと向かう小径を歩く。
風が浴衣をすこしめくって、脚に夜の冷気が触れるたび、私の肌はぴくりと波打った。
湯屋の戸を開けると、白い湯気がふわりと溢れ出す。
誰もいない湯船。
ぼんやりと照らす灯り。
硫黄と木の香りが混ざり合って、心と身体をふわりと緩めていく。
私は先に体を洗い、タオルを胸元に巻いて、「いいよ」と言った。
彼が湯屋に入ってくる気配がしたとき、私はもう、湯の中で待っていた。
背中を見せたまま、景色のほうを向く。
けれど、目の前は真っ暗だった。
見えない景色より、背中の気配が、ずっと鮮やかだった。
「……入るね」
静かな声と、ざぶん、という音。
浩介の気配が、私の隣に近づいてきた。
彼の指先が、私の肩に触れる。
その瞬間、肌が一斉にざわめいた。
「……こんなとこ、はじめてだ」
「私も……」
私の声は、もうすでに熱を孕んでいた。
わたしは彼の方へ、そっと身体をずらす。
そして、彼の脚のあいだへ、するりと滑り込んだ。
「先輩……」
彼の腕が、そっと私の背中を包む。
ゆっくり、慎重に、けれど確かに。
わたしは彼の手を取って、胸の上に置いた。
「触れて……お願い」
その言葉は、吐息と一緒に溶けて、湯気の中へ消えていく。
けれど彼は、きちんと応えてくれた。
ゆっくりと揉みしだかれる感覚に、呼吸が浅くなる。
湯の熱と、彼の掌の熱、どちらが私を溶かしているのか、もう分からなかった。
彼の唇が、私の耳の裏をなぞる。
わたしは思わず、声を漏らした。
「……もっと、して」
彼の指が、滑り落ちて、湯の中で私の奥を探しあてる。
濡れていたのは湯のせいだけじゃなかった。
ふたりの身体が、音を立てて触れ合う。
ぬるり、とした指先が、私の奥を確かめるように動いて、
わたしはもう、限界だった。
「……入って」
そう呟いたとき、彼は黙って頷いて、身体を寄せてきた。
湯の中で、彼がわたしを抱き締める。
そして、ひとつになる。
水音の合間に、吐息と、わたしの甘い声が混ざる。
こんな場所で、こんなにも激しく……。
けれど、それがたまらなく、私を昂らせた。
「好き……もっと、深く……」
声が勝手に出てしまう。
羞恥なんて、湯の中にすべて溶けていった。
***
ふたりで身体を洗い合い、手を繋いで部屋に戻る。
浴衣の下には、なにもつけなかった。
裸で歩く夜の廊下のひんやりとした感触が、まだ火照った脚のあいだをくすぐる。
誰もいない隣の部屋に入ると、彼がすぐに私を抱き締めてきた。
唇と唇が、湿った音を立てて重なる。
彼の指がまた、私の敏感なところを探し当て、容赦なく弄る。
私は声を噛み殺すように、彼の肩に顔をうずめた。
「……声、出しちゃダメ?」
「出していいよ。誰も来ないから」
その囁きが、余計に私を興奮させた。
何度も、何度も。
ふたりは貪り合った。
身体の奥が蕩けて、心の奥もほどけていく。
ずっと我慢していた欲望が、波のように押し寄せて、私の中をさらっていった。
***
朝、目を覚ましたとき、隣には彼がいた。
彼の胸に頬を預け、まだ夢の続きを見ていたような気がした。
もう、あの夜には戻れない。
でも、わたしたちのなかには、あの夜がずっと残っている。
湯けむりの中、あなたにほどかれていく感覚。
胸の奥に火が灯るような、あの瞬間のすべてを、
私はこれからも、何度でも思い出すのだと思う。
そして、思い出すたびに――また濡れてしまう。



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