【1 それは“優しさ”から始まった】
椎名店長に初めて声をかけられた日のことは、今でもはっきりと覚えている。
陽の差し込むレジ横で、慣れない操作に戸惑っていた私に、彼はそっと近づいてきた。
「ここ、焦らなくて大丈夫ですよ。彩夏さん、指先がとてもきれいですね」
思いがけない言葉だった。
けれど、そのひとことだけで、私はすっと呼吸が楽になった。
優しく微笑むその横顔は、どこか俳優のような品があって、なのに距離を感じさせない。
それが、椎名さんだった。
彼は、どこまでも紳士だった。
職場で必要以上に距離を詰めることは決してない。
でも、私がシフトの合間に疲れを滲ませたときや、ふとした溜息を漏らしたときだけ、
不思議と隣に立っていた。
「最近、よく眠れてますか? 目の下に、少しだけ疲れが見えますよ」
「大丈夫です。子どもの学校のことが少しバタバタしてて…」
「……ご主人、気づいてくれてますか?」
ふいに、胸の奥を突かれたような一言だった。
「…さあ、どうでしょう。鈍い人ですから」
気づけば、私は、家族のこと、夫のこと、女としての寂しささえも彼に話していた。
すべてが始まったのは、ある春の夜。
彼に誘われて入ったイタリアンの店は、照明が落とされていて、まるで映画のワンシーンのようだった。
「彩夏さんって、“名前”で呼ばれるだけで、表情が変わるんですね」
グラス越しのその囁きに、心臓が跳ねた。
その夜、彼の手が私の手を取ったとき、私は、もう拒む理由を探さなかった。
店長の部屋に入るのは、それが初めてだった。
グレーのシーツと、洗い立てのタオル。
派手さはないけれど、整えられた空間は彼そのもののようで、私は自然に服を脱いでいた。
「綺麗だ……ほんとに、思ってた以上に」
指先が、肩の曲線をなぞる。
ひと房の髪を耳にかけられ、キスが降る。
そこからは、ずっと、夢のようだった。
ベッドの上、私は初めて知った。
肌を撫でられることの意味を。
唇の奥に差し込まれる舌に、じわじわと広がる熱を。
やさしい声で名前を呼ばれながら、
脚をほどかれていく時間の中で、
私は確かに、「女」だった。
以来、私たちは週に一度の“昼休み”を共有するようになった。
シフトが重なる日の午後。
倉庫の奥、鍵のかかる小部屋。
声を殺しながら、肌と肌が重なり合うその空間は、
誰にも知られてはならない、甘くて危うい楽園だった。
「好きだよ、彩夏さん」
その一言で、私は家庭での罪悪感さえ上書きされていった。
けれど――
**“見られていた”**と知ったあの日から、
私の時間は、別の歯車で動き始めた。
【2 彼の視線に、背中が熱くなる】
西岡くん。
今年春に入ったばかりの新入社員。
黒髪に無表情、無口で何を考えているのかわからない子だった。
でも、どこかで私は知っていた。
彼の目が、いつも私を追っていることを。
レジでお客様に「ありがとうございました」と微笑むとき。
商品棚でしゃがんで品出しをしているとき。
倉庫で制服のシャツの裾を整えているとき。
ほんの数秒、彼の視線を感じる瞬間が、必ずあった。
「店長とは、仲がいいんですね」
そんな言葉を初めてかけられたのは、シフト終わりの更衣室だった。
「え? まぁ……お世話になってる、というか」
「そうですか」
淡々としたその言葉のあと、彼は無言でスマートフォンを取り出した。
画面に浮かび上がったのは――
倉庫の奥、店長に抱かれている、**“あの時の私”**だった。
制服のまま、スカートを持ち上げられ、
口を開き、乱れ、感じている私。
「…………」
言葉が、出なかった。
恐怖か羞恥か。どちらかも、もはやわからなかった。
「いい表情、してますね。奥さん、って感じしない」
「……どうして、こんなこと……」
「全部、見てました。最初からずっと。気づいてなかったんですか?」
声が震える。
でも、足は逃げなかった。
むしろ、その視線が、熱をともなって脚の付け根へ伝っていた。
「旦那さんにも見せられない顔、してますよね」
その言葉に、私は何も言い返せなかった。
彼の手が、制服の襟に触れる。
「声を出さないようにしてくださいね。ここ、更衣室ですから」
拒む腕を、掴まれた。
扉の内側、ロッカーに押しつけられた瞬間、彼の指が下着の奥へと滑り込んできた。
「もう……濡れてる」
「や、やめて……こんな……」
「じゃあ、叫んでください。大声で」
言えなかった。
それが、“始まり”だった。
【3 この身体が、命令を待っている】
あの日を境に、西岡くんは変わった。
それまでの無表情なマスクの裏に潜んでいた“何か”が、
私の身体を見て目を覚ましたように、静かに、でも確実に輪郭を濃くしていった。
「今日も来てください。〇時きっかりに、例の更衣室で」
「……忙しいの。そんな頻繁に……」
「じゃあ、ご主人に送ってもいいんですけどね。あの動画」
その言葉を聞いた瞬間、私は黙ってうなずいていた。
それは脅迫だった。
でも、どこかでわたしは、その強引さを求めていた。
最初は、命じられるままに身体を差し出していただけだった。
私が抵抗するたび、彼の目は興奮で光を増した。
制服のブラウスを前から開かれ、下着ごと引きちぎられたとき、
私は声を殺して震えながら、それでも脚を閉じられなかった。
「ここ、どれくらい濡れてるか、自分で触って確かめてみて」
彼にそう言われて、ためらいながら指を滑らせたとき、
指先があまりにも濡れていたことに、私は自分が“快楽を覚えていた”ことを突きつけられた。
「どうして……こんな……」
泣きながらそう呟いた私の髪を、彼はゆっくり撫でた。
「女ってさ、命令されるほうが、よっぽど感じるらしいですよ」
それは、命令ではなく――
許しのように響いた。
ある日の閉店後。
「今日は店内で」と言われた私は、信じられない場所へ導かれた。
倉庫でも更衣室でもない。
それは、客用の試食コーナーの奥。
照明を消したその片隅で、私は台に手をつき、後ろから挿れられた。
「ほら、今なら誰もいないですよ。すごいですね、奥さん……締めつけが」
「……だめっ、声、出ちゃう……」
「出してくださいよ、聞きたいんで。誰かに聞かれたら、それもまたスリルでしょ?」
快楽と羞恥がせめぎ合い、
それは次第に、“恥”だけでは終わらなくなっていった。
私はもう、「見られるかもしれない」その恐怖に興奮していた。
次第に命令は過激になった。
下着を穿かずに出勤する日。
制服のスカートの下、ローターを仕込まれて、レジに立たされる日。
その振動に膝を震わせながら「ありがとうございました」と頭を下げると、
視線の先に西岡の姿がある。
彼は何も言わず、静かに頷くだけ。
その仕草ひとつで、私の身体は勝手に反応してしまう。
「次はどんな命令だろう」
そう考えるだけで、息が浅くなる。
自分のなかの「女」が目覚めていく感覚。
命じられ、弄ばれ、押し倒され、
でもそのたびに、自分の一番深い場所が悦びに震えていた。
ある夜。
西岡くんに呼ばれた場所は、まさかの――自宅前の路地裏だった。
「今日は旦那さん、出張なんですよね。奥さんの部屋、どこですか?」
背中が冷たくなる。
でもそれ以上に、太ももの内側がじんわりと熱を持っていた。
「まさか……ここで?」
「ええ、音を立てないように、気をつけてくださいね」
リビングと隣り合わせの部屋。
カーテンも閉められないその空間で、
私は押し倒され、声を殺しながら、貫かれた。
脚の間で打ちつけられるたび、
「女として悦んでる自分」を、私は感じていた。
「……奥さん、すごい表情してる。旦那さんにも、こうなるんですか?」
「……ならない。こんなの……知らなかった……」
「でも今は、俺の女でしょ?」
その言葉に、私はうなずいていた。
家では、よき妻を演じていた。
夫の帰宅に笑顔で応え、子どもの話に耳を傾ける。
けれど――
夜中、シャワーを浴びながら、鏡の前に立つと、
そこには“命令される悦び”を知った顔の私がいた。
目元が少しだけ色づいている。
唇の端が、なぜか艶やかに見える。
ああ、わたしはもう、「ただの主婦」ではないんだ。
ある日、西岡が言った。
「旦那さん、気づいてないんですね。奥さんの“匂い”、変わってますよ」
その瞬間、私の奥に、ぞくりとした熱が走った。
「もっと匂わせましょうか。外で、わざと擦りつけて。店中に、奥さんの匂い、残してやりましょうよ」
私は、もう、拒まなかった。
命令されることが、悦びだった。
抗えば抗うほど、快楽は深くなる。
屈辱は、私の中で蜜になった。
今の私の身体は、彼の声に反応して濡れ、彼の命令にだけ開いていく。
たとえそれが、どれほど歪んだ悦びでも――
私は、女として、完全に堕ちていった。
【余韻】
夜。
夫と子どもが眠る部屋の隣、
私はイヤフォンを耳に差し込む。
「命令するから、よく聞いてね」
音声メッセージ越しに囁かれるその声だけで、
私の身体は脈打ち、じわりと熱を帯びる。
音だけの命令。
それすらも、もう快感のスイッチだった。
夫はまだ、知らない。
この身体が誰のものかも。
私の名前を呼ぶとき、心はすでに別の男に従っていることも。
そして――
私はもう、その“秘密”さえ、悦んでしまっている。


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