第一幕:知らない夜風に吹かれて
札幌の初夏、夜の気温はちょうどよかった。
ワインを一杯だけのつもりが、グラスがすすむにつれ心の襟も緩んでいって、
帰り道、私はスマホも見ずに、夜風の流れに身をまかせて歩いていた。
「すみません、もしかして道に迷ってます?」
不意にかけられた声に、足を止めた。
見上げると、そこには光に浮かぶ若い男の顔。
二十歳そこそこの大学生らしきその子は、私の目を見て微笑んだ。
「いや、ただ…酔ってるだけ。大丈夫よ」
そう答えながら、私は内心で戸惑っていた。
清楚で落ち着いた服を選んだはずなのに、その視線はどこか艶を帯びていた。
「大丈夫そうに見えないから、送りますよ。…って、すみません、失礼ですけどおいくつですか?」
「45歳よ」
そう言うと、彼の目がぱちぱちと瞬きを繰り返した。
驚いたふうに少しのけぞって、でも次の瞬間には、その眼差しが興味に変わったのを私は見逃さなかった。
「信じられない…綺麗すぎて、全然そんなふうに見えない。ていうか…めちゃくちゃタイプです」
困ったような笑顔。
私は笑ってごまかしたけれど、心のどこかがざわついていた。
彼の言葉が、ほろ酔いの身体に、じんわりと熱を灯していた。
第二幕:焦らす夜の温度
「…それで、なぜ送るって言った子と、こうしてベンチに座ってるんでしょうね、私」
近くの公園でふたり、ベンチに並んで座る。
彼は横顔のまま、少し笑った。
「だって、もう帰らない雰囲気出してますよ、さっきから」
図星だった。
帰りたくなかった。ただの酔いのせいにしておきたかったけれど、それだけではなかった。
彼の指が、不意に私の髪に触れた。
「少し、風に乱れてて」
そう言いながら、私の髪をやさしく耳にかける手つき。
酔いのせいか、いや、きっと違う。
背筋に、ぞくりと電流のようなものが走った。
「触られたくないわけじゃない。でも簡単には触らせないわよ」
私がそう言うと、彼は目を細めて、まるで挑まれたような顔をした。
「焦らされてる気がします。すごく、」
私はゆっくり足を組み替えた。
彼の目線が、スカートの奥を一瞬だけ泳ぐのがわかった。
その視線が、私の内側にまで熱を送り込むようで、下腹が疼く。
でも、触れさせはしない。
もっともっと、彼の欲を膨らませたかった。
「あなた、ずっと我慢してるでしょ」
そう囁くと、彼の喉がかすかに動いた。
この夜の主導権が、いつのまにか私のものになっていると気づいた時、私は身体の奥底から疼きはじめていた。
第三幕:ほどけるのは、わたしだった
「うち、来ますか」
一歩先に言われて、私は無言でうなずいた。
夜の道を並んで歩く足取りは早く、鼓動の音が、耳の奥で跳ねる。
大学近くの小さなアパート。
部屋に入ると、彼はぎこちない手つきで私のコートを脱がせた。
その手が、肩をすべるとき、私は息を呑んだ。
「…触れても、いい?」
「ゆっくり。優しくして」
彼の唇が、私の鎖骨に落ちるまでに、どれほど時が溶けたのだろう。
スカートの裾が持ち上げられる頃には、私はすでにその手の動きだけで身体が震えていた。
ストッキング越しに撫でられた太もも。
爪のない指先が、ぬるく濡れた中心へと近づいてくるたび、私は背筋を浮かせてしまう。
「こんなに、なってる…」
彼の囁きが、耳たぶをくすぐり、身体の奥に響く。
けれど私は、すぐには彼を許さなかった。
肌を焦がすように求められながらも、最後の一線を、何度もゆっくりと引き延ばした。
欲望が煮詰まっていくあの感覚。
彼の手の中で、私は初めて“焦らす快感”に溺れていたのかもしれない。
そして、彼の指が奥まで届いたとき——
私はひとつ、長く、声にならない吐息をこぼして、
自分の中のなにかが、音を立てて崩れたのを感じた。
汗ばむ額を重ねて、動かぬまましばらく呼吸だけを重ね合う。
「…どうして、あなたに、こんなに夢中になってるんだろう」
思わず漏らしたその一言に、彼は私の髪を撫でながら、
「俺の方が、ずっとそう思ってる」と、静かに返した。
その言葉の柔らかさに、私は目を閉じた。
—
外はもう、夜明け前の淡い光。
ほどけたのは、欲望だけじゃない。
私という存在の、なにか深い部分だった。
そして私は知った。
女であることは、終わらせるものではないのだと。



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