第一章:乾杯の奥で、わたしはひとりだった
入社して三年目の春。
東京・恵比寿のビル街にある営業本部で、私はささやかな地位と、空洞のような日常を得ていた。誰かに期待され、愛され、認められたがっていた頃はとうに過ぎ、笑顔は癖のようなものになっていた。
四月の金曜、職場の新入社員歓迎会。
渋谷の居酒屋の一角で、ざわめきとグラスの音が交錯していた。
「彼氏と別れたって…大丈夫?」
同じチームの主任、佐伯さんがさりげなく聞いてきた。38歳、家庭持ち。優しげな眼差しの奥に、どこかこちらを値踏みするような視線があった。
「平気です、もう前向いてますから」
そう口にしても、乾いた喉の奥で言葉は弾まず、手元のグラスをまた傾けた。
二次会に残ったのは、私と男性社員5人。
「ちょっとだけね」と言って足を運んだバーは、照明が落ち着いたワインレッドの空間。さっきよりも密度の高い空気に包まれて、私は自分の鼓動を強く感じ始めていた。
ふと目が合ったのは、ひとつ年上の小野くん。あどけなさの残る輪郭と、時折私の髪の先を見つめるような癖のあるまなざし。
彼の視線が、たまらなく生々しかった。
第二章:タブーはいつも、熱を孕んでいた
「もうちょっと飲みたいねって話してて」
気がつけば、彼らと私、6人で誰かの部屋にいた。
フローリングに座布団、コンビニのワインとつまみ。ありふれた帰り道の延長のような空間に、妙な非現実感が漂っていた。
私は浴衣に着替えていた。歓迎会の後、皆で泊まる予定だった旅館風の宿──会社の福利厚生を使った、いかにも「節度のある会」として整えられた舞台だった。
「〇〇さん、肌白いんですね」
誰かの声が、やけに近くに感じられた。
「え、やだ…酔ってるでしょ」
笑いながら返した私の膝に、そっと誰かの手が触れた。反射的に拒むことはできなかった。
そこに、力はなかったから。
浴衣の合わせ目が緩んで、肩が露わになる。
息を飲む気配が部屋に充満した。
指先が、肩甲骨のくぼみをなぞる。
その体温は驚くほど高く、私はたちまちその熱に縋るようにして、目を閉じた。
「もっと…見せていい?」
問いかけというより、確認のようなささやきに、私は黙って首を縦に振った。
触れられた胸の先端が、じんわりと濡れていく。
押し当てられた唇が、まるで赦しを乞うように柔らかく、けれど執拗に吸いあげる。
自分の中で何かが、静かに溶けていくのを感じた。
「やさしくして…」
掠れた声が自分のものだと気づくまで、少しかかった。
私は、彼らの視線の中心で──はじまってしまったものを、もう止められなかった。
第三章:朝陽の中で、誰でもない私に還る
いつの間にか、誰かの腕の中にいた。
太腿に残る掌の痕、首筋に残る吐息の名残。
体の内側はまだ熱を帯び、寝具の上でわずかに脚を閉じようとすると、なにかがゆっくりと漏れ出す感覚がした。
「昨日、…すごかったね」
佐伯さんの声がした。視線を向けると、彼はどこか遠い目で、天井を見ていた。
「私…全部覚えてないんです」
そう言うと、彼は小さく笑って、「でも、あれが君の本音だったんじゃないかな」と呟いた。
否定できなかった。
あの夜、私は誰かに求められることで、壊れた自分を救おうとしていた。
午前10時、チェックアウトの時間。
外は眩しくて、コンクリートの街並みに現実が戻ってくる。
駅までの道すがら、私はイヤフォンを耳に差し込み、何も聞こえない音を流した。
誰とも話したくなかった。ただ、風だけが、浴衣の下の湿った肌を通り抜けていった。
あの夜が赦されることはきっとない。
けれど、私は確かに、自分の「欲望」という名の底を見た。
そして、それがまだ私を生かしているのだと、どこかで感じていた。



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