【第1部】乾いた家事と閉ざされたドア──年上女性×青年の同居が動き出す昼下がり
私は三十三歳。広告デザインの在宅仕事をしながら、海風の匂いが届く横浜の古い一軒家をシェアしている。
夫は仕事で長期出張が多く、この春から、彼の同僚の成人した甥…ではなく、同僚が紹介してきた二十五歳の下宿人・航(こう)が一部屋を借りることになった。
昼過ぎ。洗濯機が止まる音、軒先に落ちる陽の粒。私は乾いたタオルを胸に抱え、いつも閉まっている航のドアの前で立ち止まった。たまの外出はコンビニくらい。夜はゲームの光が漏れ、朝は静かなまま。
ノックを三度。返事はゆっくり落ちてくる。
「どうぞ」
入ると、散らかった配線と並んだフィギュア。窓は半分だけ開き、柔らかな潮風が止まっていた。
「ありがとう。置いてもらって…」
航は視線を合わせるのが少し苦手そうで、けれど言葉は真面目に、丁寧にこちらへ向かう。私はタオルを積み上げながら、自分の胸の奥に、乾いた喉へ水が触れるような微かな音を聴いた。
「ねえ、息、詰まってない?」
自分でも驚くくらい穏やかな声が出ていた。
航は小さく笑って、「詰まってます」と正直に言った。
その正直さが、室内の空気を少しだけ動かした。閉ざされたドアが、心の方からひらく音がした。
【第2部】触れてもいい?──合意の言葉がほどく、濡れの予兆と呼吸の連鎖
その日も、私は昼過ぎに洗濯物を抱えて航の部屋へ向かった。
ノック。返事。光は昨日よりやわらぎ、埃は舞わず、静けさは鼓動の形に近づく。
「コーヒー淹れます?」
「うん」
マグの縁から立ちのぼる湯気。白い湯気が二人の距離の形をなぞる。
「触れてもいい?」
私の声は、確かに私のものだった。航は、即答しなかった。
「…触れられても、いいです。ただし、ゆっくり」
はっきりと、線を引き、線をゆるめる言葉。
指先が手背に置かれる。温度が移る。肩、二の腕、髪のうしろ。急がない。「ここまで大丈夫?」とたずね、「大丈夫」と返るたび、部屋の空気がやわらいでいく。
「目、閉じてもいい?」
「うん」
まぶたの裏で海が寄せては返す。唇が触れる。音楽を聴くように、頬骨の角度、喉の浅い凹み、鍵骨の線、布越しの温かさを音符のように辿る。
「…あ」
抑えた息が、規則正しく、波形のように重なる。言葉がいらなくなる直前、私はもう一度たずねる。
「続けてもいい?」
「続けて。あなたの速度で」
同意の言葉が、濡れの予兆を合法の灯りで照らす。からだの輪郭は少しずつ解け、重なり合う呼吸は、昼の光をゆっくりと厚くしていく。
【第3部】昼の光が震える──年齢差が音楽になる合意のクライマックス
外では選挙カーの声が遠くゆれ、窓辺のカーテンが海のリズムを真似る。
航の手は、迷わない。けれど拙速でもない。合図と応答、問いとかすかな頷き。その繰り返しが、体の奥に小さな鐘を増やしていく。
「…好き、です」
突発的な言葉ではなく、積み重ねの先にそっと置かれた音。胸の中央でほどける。
私たちは、ただ抱き合った。重力を分け合い、汗の輪郭が触れ合う。部屋の静けさが震え、窓の外の白がにじむ。
「速さ、どう?」
「もう少しだけ…ゆっくり」
速度が合わさる。小さな声が漏れる。声は決して大きくならないのに、内側の世界だけが増幅していく。
やがて、波は三度、四度、互いの岸に届き、ふっとほどけた。
息を整えながら、私たちは笑った。
「ごめん…じゃなくて、ありがとう」
航の言い直しに、私も頷く。
「私も。ありがとう」
謝罪の言葉は、合意の場では必要ない。必要なのは、確かめ合い、尊重し、そして言い直す勇気だけだ。
ベッドサイドの時計は、まだ午後二時を少し回ったばかり。昼の光は、さっきよりも透明だった。
まとめ
乾いた家事、閉ざされたドア、昼下がりの光。
それらは、誰かを傷つける物語の燃料ではない。大人同士が互いの輪郭を尊重しながら近づき、同意の言葉で世界をやわらげていくための道具だ。
合意は詩であり、速度は作曲であり、触れ合いは編曲だ。
そして音楽の終わりに残るのは、罪悪感ではなく、静かな感謝。
私たちは、昼の光の中でそれを学んだ。


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