【第1部】閉店後の匂いと、押し寄せる壁際の湿度──“なぜ抗えなかったのか”の始まり
夜九時。
駅前のお惣菜屋。
照明の落ちた厨房には、冷めた揚げ油の匂いと、魚を焼いた煙の残り香がまだ漂っていた。
いつもより遅い片付け。私の指先は少し冷たくて、ビニール手袋を外したあとに指のしわがくっきりと残っていた。
店長とふたりだけの閉店作業は、よくあることだった。
けれど、この夜だけは、何かが、ほんの少しだけ違っていた。
ふと、背後から感じた視線──
「世津子さん、いつも、頑張ってるよね」
そう言った店長の声が、いつもより低く、湿っていて、熱を帯びていた。
まるで、どこかの蛇口からゆっくりと漏れ続ける水音のように、
その声だけで、膝裏がじんわりと湿っていくような錯覚があった。
「…お疲れ様です」
そう返すのが精一杯で、もう帰りますね、と頭を下げたときだった。
突然、背中に大きな影が覆い被さり、私の体は事務所の壁際へと押しやられた。
「ちょっとだけ…いいだろ…前から…」
その息は、微かにアルコールの匂いを含みながら、私の耳の後ろに湿って落ちた。
いけない、と思った。
なのに、なぜか逃げ出すことができなかった。
店長の唇が、私の口を塞いだとき。
私の体は、胸より先に、腰の奥が反応していた。
指が、白い三角巾の後ろを乱暴にほどきながら、私の背中を這っていく。
唇が重なるたびに、私の中で何かが崩れ、奥から甘い水が静かに溢れてくるのを感じてしまった。
「だめ…だって…」
言葉とは裏腹に、私は首を背けながらも、口元を離そうとはしていなかった。
夫以外の男の匂い。
家では、もうずっと忘れていた、女としての私。
その夜、私は──“壁際で、濡れる妻”になってしまった。
【第2部】惣菜エプロンのままで──閉店後の背徳シフトに濡らされて
その日から。
“夜番でふたりきり”というだけで、私の体は湿度を帯びるようになった。
閉店後の厨房のソファ。
Fax機の点滅。業務日報のファイル。
日常のすぐ隣で、私はエプロンと三角巾のまま、何度も店長に抱かれた。
「世津子さんの口、ほんとたまらない」
そう言われながら、唇が痛くなるほど何度もキスされた。
時には、そのまま口の中に店長の欲望が押し込まれる。
喉の奥が詰まりながらも、私の脚はいつしか、自然に開いていた。
「風俗みたいにやってくれ」
そう囁かれた夜──
私は裸にされ、ソファに寝かされた店長の体を、顔から胸、下腹部、そして足の指先まで──
自分でも信じられないくらい、舌で丁寧に舐めていた。
濃い体臭、少しべたついた肌、ところどころ伸びかけた毛。
それらすべてが、私の唾液で濡れていった。
シャワーのない店。
乾かぬままの口内。
それでも私は、もう一度、と口を開いていた。
一番記憶に残っているのは──
ショーケースに体を押し付けられた夜だった。
背後から、店長の指が私の下着の内側を撫でながら、唇が首筋を舐めていく。
シャッターのすぐ向こうには、夜道を歩く人の気配。
その気配が、私を燃え上がらせた。
「だめ、声出ちゃう」
「だから、こうしてる」
店長の手が私の口を塞ぎながら、後ろから激しく押し込まれる。
ショーケースに手をつき、お尻を突き出したまま──
私は背徳の熱に突き動かされ、濡れた足元に絶頂を落とした。
そのたびに、エプロンの下がぐっしょりと重くなる感覚。
家に帰っても、その湿った匂いだけが、私の脚の間に残った。
【第3部】夫が外で待っていた夜──“最後の抱かれ”が、いちばん深く沈んだ
別れのきっかけとなった夜。
それは、ある意味で──私がいちばん“女だった夜”だった。
閉店後、夫が車で迎えに来てくれたのを知りながら、
私は、シャッターを下ろしたお店の中で、店長に組み敷かれていた。
「旦那さん、待ってるんだろ」
「うん……でも、今は…」
もうすぐ40分になる、とラジオが流れている時間。
その間に、私は2回、彼に深く貫かれていた。
湿った厨房の奥。
お総菜用のタッパーの積まれたカゴの横で、私は自ら脚を開いていた。
「最後になるかもしれないな」
「……いいよ、最後にして」
エプロンのひもを後ろ手に外されたとき、なぜか泣きそうになった。
そのまま背中から抱かれて、胸を揉まれ、首筋を甘噛みされながら、
私の奥は、もう何度目かわからないほど震えていた。
彼の唾液と、私の愛液。
混ざり合った湿った香りが、厨房の空気をじっとり染めていく。
終わって、鏡の前でお化粧を直す私。
頬にほんのり火照りを残し、唇の輪郭を丁寧に描いて──
「行ってきます」と言って、店を出た。
外には、何も知らない夫。
助手席のラジオをぼんやり聴きながら、笑って迎えてくれた。
帰宅後、その夜。
1年ぶりくらいに、夫に求められた。
けれど、私が思い出していたのは、
店長の背中と、舌の温度、喉の奥に残る匂いだった。
夫に抱かれながら、違う男を思い出してしまう自分に嫌悪し、
その数日後、私はきっぱりパートを辞めた。
もう、あの惣菜屋には行っていない。
けれど、前を通るたび──
ショーケースに手をついた自分の姿が、
あまりに鮮やかに、脚の奥から蘇ってしまう。
濡れた唇。
押しつけられた背中。
もう戻らない匂い──
だけど、いまも私の中に、生きている。


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