あのときの私は、言葉にできない空虚の中にいた。
彼と別れた。大学から五年付き合い、婚約目前まで行っていたのに、彼の口からこぼれたのは、あまりにもあっけない一言だった。
「ごめん。……他に、好きな人ができた」
頭の奥で何かがぷつんと切れた音がした。涙は出なかった。ただ、冷たくなった心をどうにもできずに、私は何かから逃げるように、電車に乗った。無意識に選んだのは、山奥のひなびた温泉宿。ひとりきりで、癒されるとも思わず、ただ静かに傷を舐めるために。
宿に着くと、柔らかな笑みを浮かべた主人が出迎えてくれた。佐伯さん――六十代半ばくらいだろうか。皺の刻まれたその顔は優しく、どこか人懐っこさもありながら、必要以上には踏み込まない配慮のある佇まいだった。
「女性ひとり旅とは珍しいですね。よかったら、明日の朝にでも近くをご案内しましょうか」
私は曖昧に笑って頷いた。気の利いた言葉も出ず、ただ誰かの親切を受け入れるしかできなかった。
それでも、食事を終えたあと、廊下で再び会った佐伯さんの声に、少しだけ心がほぐれたのを感じていた。
「今夜の月は見応えがありますよ。露天風呂からも、きれいに見えるでしょう」
それをきっかけに、私は深夜二時を過ぎてから、誰もいないだろう時間を見計らって湯へ向かった。
夜の空気は冷たく澄み、満月が蒼白い光を注いでいた。湯船から立ち上る湯気の向こう、誰もいないはずの闇に、私はぼんやりと身を預けていた。
……なのに。
「まだ起きていらしたんですね。部屋の灯りが消えてなかったから」
声がした。湯煙の向こうに、佐伯さんが立っていた。薄明かりの中で彼が浴衣を脱ぎ、裸のまま湯に入ってきたのが見えた。
私は、驚いた。
けれど同時に、胸の奥がざわついたのも事実だった。
「月がきれいですね。……ひとりで、寂しくありませんか?」
静かな声。彼の目は、私をじっと見つめていた。
「……少し、寂しいです」
そう呟いたのは、湯気のせいだけではない頬の熱のせいだった。
佐伯さんが近づいてきた。ゆっくり、湯をかき分ける音だけが響く。そして、その手が――私の肩に、そっと触れた。
年上の男性に、こんなふうに触れられるなんて。普通なら怖がってもおかしくない。でも、私は逃げなかった。むしろ――求めていたのだと、あとから気づくことになる。
「触れても、いいですか」
その問いに、私は目を閉じて小さく頷いた。
指先が、肩から鎖骨、そして胸元へ。濡れた肌にしずくが伝い、その流れをなぞるように彼の指が滑った。湯気に包まれた空間で、彼の手の温度がやけに鮮明に感じられた。
乳房に触れられた瞬間、思わず吐息がこぼれた。
そのまま唇が近づき、私の首筋にそっと吸い付いた。わずかな痛みと、ぞくりと走る快感。私はその感覚に、耐えるどころか、むしろ堕ちていくように身体を傾けた。
彼の指はゆっくりと下腹部へと滑り、湯の中で太腿を割って、秘めた部分へと触れた。
「……ぬくいですね。ここも」
ささやく声が低く艶やかで、脳が痺れるようだった。
お湯の中でなぞられる感覚は、直接よりも幻想的で、でも確実に私の身体を熱くしていた。緩やかに、けれど確実に感じる部分を刺激され、私は腰を浮かせるようにして応えた。
やがて、私たちは湯から上がり、宿の離れにある小さな空き部屋へと移動していた。誰にも邪魔されないその場所で、彼は私の濡れた身体を、まるで宝物のように丁寧に拭いてくれた。
そして、目の前に現れた――彼のもの。
私は息を呑んだ。見間違いではない。その長さ、その太さ。濡れた髪をかき上げながら立っていた彼の陰影が、ぼんやりとした照明に浮かび上がる。
それは、正直、これまでの誰とも違った。
「少し、……驚いた?」
「……うん。あの……すごく……」
言葉にならなかった。けれど、私の手が自然とそこに伸びていた。太くて硬くて、指が回らない。熱く脈打つそれを、私は無意識に両手で包み込んでいた。
「触れるだけで、こんなに……」
「君の手が気持ちよくて、我慢できなくなっただけです」
ゆっくりと、彼のそれを舐めた。亀頭に唇をあて、舌を絡め、裏筋を辿るように愛撫すると、彼の身体がわずかに震えた。私は夢中で舐め続け、唾液と熱が交じるたび、どんどん自分が濡れていくのがわかった。
そして、身体を重ねた。
彼は私の脚を大きく開き、腰をゆっくりと沈めてきた。挿入の瞬間、あまりの太さに息が詰まった。裂けそうなほどの圧迫感。なのに、嫌じゃなかった。むしろ――その圧に包まれて、私の内側がようやく満たされたような安心感さえあった。
「深い……すごく……奥まで……」
「奥まで欲しいんでしょう? 全部、あげますよ」
彼の腰が動くたび、子宮にまで届く衝撃が走る。私は快感と痛みの狭間で泣きそうになりながらも、腰を絡めて、彼を逃がさなかった。
何度も、何度も絶頂を迎えた。息が詰まるほど強く抱かれ、天井がぐるぐると回るような恍惚の果てに、私は泣きながら彼にしがみついていた。
気がつけば朝になっていた。まだ私たちは裸のままで、彼は静かに私の髪を撫でていた。
「……また、来ますか?」
「……うん。来る。また、あなたに会いに来る」
それは、約束でもなく、祈りのような言葉だった。
彼の巨根と、その確かな愛撫と、何より、壊れた私を受け入れてくれたぬくもりが――私の心を再び灯していた。



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