【第1部】許せないはずだった──視線の熱で濡れてしまう夜
──打ち上がった花火が、空を裂いた。
耳をつんざく音とともに、
ひとひらの光が、私の横顔を照らす。
夏の夜、肌に貼りつく浴衣の内側。
風はあるのに、涼しくない。
身体の内側から何かがじわりと立ち上ってくる、そんな湿った夜だった。
会社の納涼会、浴衣を着て部下に持ち上げられ、
笑顔でジョッキを掲げた私の眼差しが、
ふと──混雑の向こう側、ひとつの輪郭に吸い寄せられた。
…彼だった。
娘がかつて付き合っていた、あの男。
端正な顔立ちに、夏の白がよく似合う。
数人の女友達に囲まれ、笑っていた。
けれどその横顔には、どこか疲れた影が落ちていた。
笑っているのに、心が追いついていないような、
…いや、私がそう思いたかっただけかもしれない。
胸が、軽く、掠れたように鳴った。
目を逸らせばいいのに、逸らせなかった。
記憶の奥で、娘の泣き声がかすかに再生される。
──「ママ、あの人、浮気してたの…」
あの夜、抱きしめた娘の背中の細さ。
許すつもりなんて、一切なかった。
なのに。
次の瞬間、彼がこちらを見た。
私に気づいて、一瞬止まり、
目を逸らさなかった。
ほんの一秒が、果てしなく長く感じられた。
その目が、まるで「逢いたかった」と告げるように、
何かを静かに、深く、訴えていた。
呼吸が浅くなるのを感じた。
帯の締め付けが、いつもより窮屈に思える。
脚の内側が、なぜか妙に熱く、
浴衣の下で、私の肌は、自分の知らない速度で滲み始めていた。
「…お久しぶりですね」
帰り際、人混みの中をすり抜けるように、
彼が私の前に立った。
その声に、心臓が水をこぼしたように揺れた。
隣にいた女友達は、気まずそうに笑って、
空気を読むように、何も言わずに去っていった。
──まるで、私たちがふたりきりになる未来を
あらかじめ知っていたように。
「少しだけ…話せませんか?」
私は、口を開かずにうなずいた。
言葉より先に、身体が答えていた。
許さないはずの男に、
なぜこんなにも、
私の奥は、水のように反応してしまうのか──
私たちは、駅前の人混みを外れて、
川沿いの細い道を歩いた。
「びっくりしました。まさか、こんなところでお会いするなんて…」
そう言った彼の声が、酔いで少しだけ掠れていて、
私の背中をくすぐるように響いた。
「そっちこそ、女の子たちと、楽しそうだったじゃない」
なるべく明るく、冗談めかして返した。
でも、喉の奥がきゅっと締まり、
言葉のあとに、熱が残った。
「違いますよ。ただの友達です。……本当は」
彼は、言葉の間に何かを挟んでいた。
本当は、何?
言わないその隙間が、私の胸の内側をなぞっていく。
触れられていないのに、
指先だけで着物の襟元を引かれたような──
そんな錯覚が、浴衣の下に溜まっていく。
「飲みに、行きませんか。少しだけでいいから」
彼の声が、低く、丁寧で、
まるで私の許しを乞うようだった。
ふいに、あのときの娘の顔が浮かんだ。
「浮気してたの、最低だった」
泣きながら言っていた。
私も、それを聞いて、許さないって決めてた。
でも──
今、すぐ近くで聞こえる彼の声。
あの時とは違う音色で、私を包むように響いている。
私は、うなずいた。
店を選んだのは彼だった。
落ち着いた照明の、こぢんまりした居酒屋の奥。
靴を脱いで座ると、足首まで緩んでしまうような静けさがあった。
「…すごく、きれいです」
乾杯のあと、彼はぽつりとそう言った。
「なにそれ、社交辞令?」
笑って返したけれど、
言われ慣れているはずの言葉が、
今夜だけは、違う熱を持って私の胸に沈んでいく。
「違います。…本当に、そう思ってたんです。ずっと」
彼の目が、私の顔のどこかを見ているのではなく、
奥の、奥の、その奥に触れようとしている。
見つめられているのに、
視姦されているわけじゃない。
でも、浴衣の下の下、
脚の付け根の奥に──
意識が、まるで手を差し入れるように潜り込んでくる。
不意に、内ももがきゅっと熱くなった。
帯の内側、肌が自分の湿度で貼りついていく。
私は、グラスを持つ指先を見下ろしながら、
唇を少しだけ噛んだ。
「謝りたかったんです。ずっと」
「でも、それだけじゃない。…あなたに、会いたかった」
その言葉の間には、
謝罪と欲望が同居していた。
謝るために来たのではない。
求めるために座っている。
私に、許されるのを待っている。
何かが、ゆっくり、ほどけていく音がした。
私のなかで、
許してはいけない、という紐が、
浴衣の帯と一緒に、心の奥で解けはじめていた。
なぜ、今この人の声が、
これほど身体に染みていくのだろう。
なぜ、許さないはずの男の言葉で、
私はこんなにも、内側を濡らしてしまっているのだろう。
視線を逸らすと、もっと濡れる気がした。
彼を見返すと、今すぐ崩れてしまいそうだった。
だから、私は何も言わなかった。
ただ、そっと、帯の結び目の苦しさに指を這わせた。
自分の意志ではない動きに、唇が微かに開いた。
──まだ触れられていない。
なのに、もうこんなに、
私は“入れられている”ような錯覚の中にいた。
彼の目も、私の目も、
たぶんもう、二人の身体より深いところで、重なっていた。
【第2部】濡れる理由を探す唇──赦していない身体が、先に堕ちていく
彼の横を歩きながら、
私はずっと、自分の呼吸の音を数えていた。
一、二──
一、二──
でも、三が来る前に、喉の奥が潤んでしまう。
わずかに触れる肩の距離が、鼓膜にまで触れてくるような錯覚。
「すぐそこに、少し静かなホテルがあるんです」
ふいにそう言われて、私は歩みを止めた。
振り返った彼の目に、言い訳はなかった。
欲望を隠さない人間の目は、なぜ、あんなにも綺麗なんだろう。
「…なに、それ」
そう言った声のほうが、私自身より先に濡れていた。
ふたりで小さなビジネスホテルのエレベーターに乗る。
静かに閉じるドアの音が、
帯の中の湿度を確信に変えるようだった。
部屋の鍵を開ける音が、やけに大きく響いた。
私の呼吸は、そのたびに短く、深くなる。
彼は、すぐには何もしなかった。
浴衣姿の私を、ただ真正面から見ていた。
一歩、また一歩と近づいてくるその足音だけで、
私は背中に熱を孕んでいく。
「本当に綺麗です」
その言葉は、
私の唇にではなく、首の左側に向けて囁かれた。
次の瞬間、
うなじに吐息がかかっただけで、私は小さく喘いでしまった。
音にしないよう、
唇を噛み、視線を宙に泳がせる。
でも彼の手が、ゆっくりと私の帯に触れたとき──
私は、すでに“拒めないこと”を身体が理解していた。
「ここ、ほどいていいですか」
尋ねる声音が、あまりに優しすぎて、
私は逆に、恥ずかしさに震えた。
「……うん」
唇の奥から、ほんのわずかな音で答えたその瞬間、
浴衣が、するりとほどけた。
空気が、肌に直接触れた。
夜の室温。カーテンの隙間から漏れる街灯の光。
何もかもが、私の肌を責めてくる。
胸元を隠そうとした腕を、彼の指がそっと外す。
「隠さないでください」
「全部、覚えて帰りたい」
その一言に、私の股の奥が、
熱と水を同時に滲ませた。
キスは、静かだった。
押し付けるでも、奪うでもなく、
ただ、唇と唇が、
“湿度を確かめ合う”ためだけに重ねられた。
音を立てないようにキスをする。
けれど、その静けさが、
逆に私の内側を濡らしていく。
くちびるの裏が痺れて、
そのまま舌先が触れたとき、
私は喉の奥で、甘い震えを飲み込んだ。
キスだけで、ここまで濡れるなんて。
そんな自分を、信じたくなかった。
でも──
そのまま、脚の間に手が伸びてきたとき、
もう、私は濡れていることを隠せなかった。
「……もう、こんなに」
彼の囁きに、私は目を閉じるしかなかった。
脚を閉じたままなのに、
そこにある粘り気を、彼の指が優しくなぞる。
パンツをずらされたわけでもない。
ただ、布の上から、
そこにいることを指が知っていく。
「濡れてるのは、…赦したからですか」
「それとも、赦せないままでも、欲しいからですか」
答えられなかった。
私自身が、いちばん、分からなかったから。
気づけば、私はベッドの上に背を預け、
脚を閉じたまま、彼の舌を待っていた。
「何も広げなくていいです」
「全部、閉じたまま、…愛しますから」
そう言って、
彼の顔が、脚の間へと沈んでいく。
浴衣の裾がめくられる音。
唇が、布の上からそこに触れる。
振動だけで、身体が震える。
なにも“挿れられて”いないのに、
奥が波打つように熱を放っている。
脚を閉じたまま、
舌がその布越しに這っていく。
じわり──
熱が、濡れの奥に染み込んでいく。
声は出せなかった。
でも、喉の奥が疼いた。
舌先が、布の隙間から私の真芯をなぞるとき、
私は喉でイってしまいそうだった。
こんな風に、
閉じたままでも、
赦していなくても、
女は堕ちる。
この夜のように、
静かに、確かに、崩れていく。
【第3部】赦しと絶頂の交差点──壊れてしまう悦びの底で
いつの間にか、私はうつ伏せになっていた。
浴衣は腰のあたりでめくれ、
背中から尻、脚の付け根まで、夜の空気に晒されていた。
息をするたび、
粘膜にまとわりついた湿度が、
喉の奥まで香り立ってくる。
指が、背骨の上をなぞっていく。
まるで、赦しを乞うような優しさで。
でもその優しさが、
いちばん私を溶かす。
「ほんとうに…綺麗です」
「こんなふうに、あなたを見られるなんて思ってなかった」
そんな言葉、欲しくなかった。
でも今は、それが甘くて、甘くて、
奥が締まりそうだった。
脚のあいだに沈んできた彼の身体。
ゆっくり、丁寧に、私の中に入っていく。
湿りきった入り口が、彼の温度を受け入れていく。
私は、もう閉じることも、拒むこともできなかった。
「…あぁ」
声にならない声が、喉の奥から漏れる。
身体を揺らすたび、
中が、私の感情の層を撫でていく。
過去に怒っていた層、
娘を思う層、
女としての私が疼いていた層──
そのすべてが、今、濡れて、溶けて、
彼の奥を受け入れてしまっている。
「許したわけじゃない…」
私はそうつぶやく。
でも彼は、動きを止めずに、静かに答える。
「……いいんです、許さなくて」
「でも、…今は僕の中で、あなたを全部、抱きたい」
その言葉のあと、
彼の奥が、私の最深部をついた。
心が跳ね、身体が震え、
骨盤の奥が、勝手に痙攣する。
それはもう、快感なんて言葉じゃなかった。
泣きたくなるような幸福と、
赦してはいけない罪が、
中で溶け合って、崩れていく。
「……壊れる…」
そう言った瞬間、
私は、自分の奥が壊れていく音を聞いた。
濡れて、震えて、奪われて、
それでも幸福だった。
この瞬間だけ、女として抱かれていたことが、
なによりも、
嬉しかった。
絶頂は、静かだった。
でも、深く、
底が抜けるように続いた。
終わったあと、
彼は私を抱きしめたまま、何も言わなかった。
その沈黙が、
いちばん濃く、身体に残った。
私はただ、彼の胸に頬を寄せながら、
自分の内ももを伝って落ちていく濡れを感じていた。
まだ、許してはいない。
でも、
抱かれたこの身体は、
もう、
すべてを赦してしまっていた。




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