第1章:白衣の沈黙、ベッドサイドの視線
私は33歳、看護師歴10年目。
都内の大学病院に勤務していて、日勤・夜勤を繰り返す生活には、もはや時間という概念も希薄だった。
夫とは数年前に別れ、今はひとり、誰に干渉されるでもなく、けれど何かが満たされないまま日々をこなしている。
その日、私が夜勤明けのナースステーションで仮眠をとっていると、搬送の連絡が入った。
「大学生、右足の複雑骨折、運び込まれます」
軽くメモをとってから、私は病室の用意を整えた。
運ばれてきたのは、20歳の大学生――「遥翔(はると)」と名乗った。
長めの黒髪が額にかかり、白い病衣が肌の透明感を際立たせていた。
年齢差を感じさせないほど整った輪郭と、どこか影のある瞳に、私はほんの一瞬、まばたきを忘れてしまった。
「よろしくお願いします」
やや伏せ目がちに発したその声は、予想よりも低く艶があった。
私は反射的に、手にしたカルテで胸元を隠すようにした――自分の心臓が跳ねるのを悟られないように。
彼はサッカー部の学生で、練習中に相手選手と接触して転倒したのだという。
病室は4人部屋だったが、運のいいことにその日は彼しかおらず、しばらく個室のような静けさだった。
点滴の管を調整しながら、彼の腕に触れたとき――
その温度が、不意に私の手の内に染み込んだ。
「冷たいですね、手……」
私はどきりとした。
看護師として当たり前の接触のはずなのに、どうしてこの子の肌にだけ、私の意識は異常に反応するのだろう。
第2章:ゆれる体温、ほどける距離
術後三日目。痛みは落ち着いたが、ギプスをつけたままの遥翔は、夜になるとたびたびナースコールを押した。
「すみません…なんか、眠れなくて」
「薬は出てるわ、飲んでみる?」
「飲むと…変な夢見そうなんですよ、あなたの声で」
――え? あなたの声?
「ふざけてるの?」と笑い飛ばすべきだったのに、私は黙ってしまった。
彼の目は、冗談とは思えないほど真剣で、あまりに無防備で。
翌晩も、彼は私の担当だった。
夜の見回りを終え、ふと病室に立ち寄ると、遥翔は起きていた。
「ねぇ、こっち来て」
ベッドの端に腰かける私の白衣の裾を、彼の指がそっと摘んだ。
呼吸が浅くなる。病室の明かりは消え、カーテンの隙間から非常灯の淡い光が差し込んでいた。
「足、少し痒いんです。ギプスの中が…」
「ダメよ、掻いちゃ…」
けれど私の制止を遮るように、彼の手が私の手を取った。
「あなたの手で…触ってみてよ」
それが罠だと、わかっていた。
でも、逃れようとする意志がどこにも浮かばなかった。
私は、看護師としての理性と、女としての本能の間で、たった数秒迷っただけだった。
彼の足に手を滑らせ、太腿のあたりまで指を這わせる。
そのとき、遥翔の身体が小さく震えたのがわかった。
その震えが、私の中の何かを決壊させた。
ギプスの端から、健康な左脚へと指先を移し、膝裏を撫でる。
若さの張り、汗腺の微かなざらつき、ふくらはぎの輪郭――すべてが生々しく、そして愛おしかった。
「ん…」
押し殺したような吐息が漏れた。
私の手が、彼の腰骨に触れた瞬間、遥翔は私の肩を引き寄せた。
「来て…お願い、もっと…」
私は白衣のボタンをひとつずつ外されながら、心が焼かれるような感覚に身を委ねた。
まるで長い夢の中にいるようだった。
第3章:溺れる音、朝焼けの静寂
夜明け近く、病室の外は静寂に包まれていた。
点滴の滴る音、誰かが寝返りを打つ微かな衣擦れ――
その中で、私たちはカーテンの内側で、互いの温度に深く沈んでいた。
遥翔の舌が、鎖骨の下をゆっくり辿る。
「…あなたの匂い、好き」
私は返事ができなかった。
快楽の波に呑まれながらも、どこかで「何かが壊れてしまった」と知っていた。
彼の指が胸をなぞる。
触れられた場所から熱が灯り、奥へ奥へと伝わっていく。
絡み合う身体は湿った音を立てながら、まるで互いを溶かし合うようだった。
声を殺しながら、私は何度も昂ぶりの頂に達した。
涙が滲んでいたのは、身体の反応なのか、それとも心の破裂なのか、わからなかった。
そして――
その余韻の中、私は彼の額にそっとキスを落とした。
「これで…最後にしようね」
遥翔は何も言わなかった。
ただ静かに、私の髪を撫でた。
数日後、彼は退院した。
最後に交わした会話も、ただの業務的なものだった。
けれど、夜勤のたびに思い出す。
あの夜、ベッドの中で交わされた吐息と視線。
白衣の下に潜む、私という女の輪郭。
罪と悦楽の間で、私は確かに“生きていた”。
それは、誰にも言えない――
けれど私の中で、永遠に疼く「真実の夜」だった。



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