真昼の月はまだ淡く──22歳の彼にほどかれた午後
結婚して、半年が過ぎた。
朝七時のアラームで目を覚まし、夫のスーツにアイロンをあて、湯気の立つ味噌汁と焼き魚の朝食を並べる日々。
玄関で見送ると、家の中にはしんとした沈黙が戻ってきて、それをかき消すようにテレビをつけ、コーヒーを淹れ、膝に毛布をかけてソファに沈み込む。
そんな繰り返しのなかで、私は少しずつ“私”ではなくなっていくような気がしていた。
仕事を辞めたのは、家庭を大事にしたかったから。
「子どもをそろそろ…」とふたりで話した、春の終わりの夜の会話が、あのときはとても温かく思えた。
けれど時間が経つにつれて、静かすぎる生活に、どこか風の通らない部屋のような淀みが生まれていた。
そんな私が、唯一、身体と心の境界を取り戻せると感じていた場所がある。
フィットネスクラブだった。
午前十時を少し回ったころ、汗で濡れた背中にタオルを押しあて、鏡越しに自分を見る。
筋肉のついた二の腕。引き締まりはじめたお腹。
そこに映るのは、どこかまだ“女性”であろうとする自分だった。
若い人たちに囲まれて、流れる音楽に合わせて身体を動かしていると、心の奥に溜まっていたよどみが、すこしずつ洗い流されていく気がした。
誰かに見られているという意識は、私の中の女を目覚めさせる。
それが、既婚という肩書の内側で忘れかけていた“自意識”だったのかもしれない。
彼を初めて意識したのは、鏡の中だった。
白いTシャツの生地の下から透けて見える、浮き彫りのような肩の筋肉。
うつむいた瞬間に見えた、彫刻のように整った横顔。
そして何よりも、無防備な笑顔。
彼は「スティーヴ」と名乗った。
22歳。
留学生としてこの国に来て、空いた時間にアルバイトとしてジムでインストラクターをしているという。
「まゆみさん、今日もフォームがきれいですね」
と、はにかんだ笑みで声をかけてくる彼に、私は思わず笑ってしまった。
その優しさと距離感の中に、不思議な安心感と、抗いがたいざわめきを感じていた。
彼と目が合うだけで、胸の奥がほんのりと温かくなる。
そのぬくもりが、日々の空虚を少しだけ埋めてくれるような──そんな気がしていた。
あの日の午前、ピラティスのクラスが終わって、シャワールームへ向かおうとしたときだった。
後ろから「お疲れさまでした」と声がして振り向くと、スティーヴが、汗を拭いながら私を見つめていた。
「今日はもう終わりですか?」
「ええ、スティーヴは? これから?」
「僕も、もう終わりなんです」
彼の言葉に、軽い冗談のような気持ちで返した。
「じゃあ、ランチでもどう?」
ほんの軽い気持ち。けれど、彼の返事は、思いのほかまっすぐだった。
「行きたいです。……30分後、ロビーで。」
心臓が、静かに高鳴った。
鏡の中で惹かれたあのときから、何かが動きはじめていたのだろう。
それは、まるで真昼の空に、うっすらとかかる淡い月のような──
見逃しそうで、けれど確かにそこにある、儚い誘惑の気配だった。
約束通り、30分後。
ロビーに現れたスティーヴは、ジムでのスポーティな姿とは打って変わって、カジュアルながらどこかきちんとした雰囲気をまとっていた。
シャツの襟元からのぞく鎖骨に、思わず目が止まったのは私の方だった。
「お待たせしました」
「ううん、こっちこそ……」
そのまま自然に、助手席に彼を乗せて、近くのレストランを二軒ほど回ったけれど、午後一時前の街は思ったよりも混み合っていた。
車内に漂う静けさと、ほんの少しの沈黙。
その沈黙を、彼の言葉がふいにやわらかく破った。
「……まゆみさんの手料理、食べてみたいです」
彼のまっすぐな瞳に、冗談の気配はなかった。
私もまた、どこかでそれを待っていたのかもしれない。
「いいわ。うち、来る?」
口にした瞬間、胸の奥がざわついた。
けれどそのざわめきは、不思議なほど嫌じゃなかった。
彼をリビングのテーブルに通し、冷蔵庫にあったラタトゥイユを温め、パンを切り、サラダを盛り、ハムを添えた。
ほんの十五分足らずの即席ランチ。
それでも、彼は目を細めて「美味しそう」と笑った。
白ワインのコルクを抜くと、ぱしん、と小さく空気が弾けた。
ふたりのグラスが重なる音が、午後の静けさをほんの少しだけ揺らす。
「乾杯……ですね」
「うん、なんだか、不思議な感じ」
彼の指先がグラスの脚を撫でていた。
その仕草が妙に艶やかで、私は無意識に太腿をぎゅっと閉じていた。
ワインが進むにつれ、彼の表情がやわらぎ、会話も深くなる。
彼の話す故郷の景色、家族、言葉。
そして、私のことも──仕事のこと、結婚のこと、今の生活のことまで。
「……まゆみさんは、いま、幸せですか?」
ふいに投げかけられた言葉に、私は答えに詰まった。
けれど、代わりに身体が先に動いた。
「ワイン、もう一本あるわ。取ってくるね」
席を立とうとしたその瞬間──
後ろから、腕がまわされた。
ぬくもりと力のある手が、私の腰を引き寄せ、首筋に彼の唇が触れた。
「……待って、スティーヴ」
そう言いながら、私の声は震えていた。
止めることも、拒むこともできない。
いや、心のどこかで、ずっとこの瞬間を望んでいた。
彼の唇が、私の唇を塞ぐ。
迷いのないキス。
唇の内側をゆっくりと舌がなぞり、私は目を閉じて、すべてを預けた。
リビングのソファに身体を預けると、彼は私のシャツのボタンを一つずつ外し、レースのブラに指先を這わせる。
その手つきに、若さよりも静かな執念を感じた。
彼は丁寧に、乳房の丸みを撫で、親指でそっと尖りを誘い、口づけた。
舌が乳首を転がした瞬間、私の背筋に甘い電流が走る。
「あ……」と、小さく息が漏れた。
彼の手が私の腰にまわり、ジーンズのボタンを外す。
そしてゆっくりと下着ごと脚元へ引き下ろされると、私は、何も纏わない自分を彼にさらしていた。
彼のキスは次第に下へと降りてゆき、太腿の内側を舌が這う。
やがて、柔らかな熱が私の奥を探り当て、そっと吸い上げるように、私の蜜を味わう。
舌のひと撫でごとに、腰が勝手に揺れた。
声にならない声が漏れ、指がソファを掴み、身体が跳ねる。
恥ずかしいほど、私の中心は濡れていた。
「スティーヴ……もう、だめ……」
言葉にならない声で告げたとき、彼は顔を上げ、ズボンを脱ぎ捨てた。
そこには、若さの象徴のように張り詰めた彼が立っていた。
一瞬、息を呑むほどの存在感。
私は、自らの手でそれを握り、頬を寄せ、唇で包み込んだ。
熱く、硬く、脈打つ鼓動が舌の裏に伝わってくる。
吸うたびに、彼の息が乱れ、私の喉奥に響いた。
そのまま、彼が私をベッドへ抱き上げる。
正常位、騎乗位、そして後ろから──
体位が変わるたび、感じ方が変わり、何度も果てそうになる。
彼の吐息、私のあえぎ、交わる音。
それらすべてが午後の静寂を溶かしていった。
彼が果てたあとも、私は彼を抱きしめたまま、瞼を閉じていた。
重なった身体に、真昼の光が、まるで月のように淡く射していた。



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