「……どうして、夫が連れていかれなければならないんですか?」
その声が、あまりに自分のものとは思えなかった。どこかで録音されたような音が、口元からこぼれていた。ドアの向こうに立つ二人の男たちは、私の問いかけをただ無表情に受け止め、乾いた声で応えた。
「あんたのダンナは、それほどのことをしたんだよ」
言葉の重さと温度が、玄関から家中に広がっていく。まるで、目に見えない油が床に垂れ、ゆっくりと染み込んでいくように。私はそれを足元から感じていた。胸の奥に、湿気を含んだ黒い不安が広がっていく。
二人の男。ひとりは、がっしりとした体格で、無精ひげを生やしていた。もう一人は細身で、指先の細さがどこか女のように繊細だった。ふたりとも、スーツを着てはいたが、それは“礼儀”ではなく“戦闘服”のように思えた。
「話を、聞かせてください。私が、代わりに……」
それは咄嗟に出た言葉だった。気づけば、夫の背中は見えず、男たちの視線だけが、私の身体にまとわりつくように降り注いでいた。
リビングに通したふたりは、ソファに深く腰を沈めると、まるで既に支配した場所のように振る舞い始めた。
「綺麗な奥さんだなあ……なあ、あんたの旦那、幸せ者だったんじゃねえか?」
低い声が、ゆるく笑いながら空間に混じっていく。まるで煙のように、ゆっくりと私の喉奥にまで侵入してくるようだった。
私はカップを震える手で持ちながら、静かに目をそらした。けれど、もうひとつの視線が、私の足元から這い上がってくる。
そのまなざしは服の上からでも、肌の輪郭を撫でるようだった。足首、膝、太腿の内側……視線だけで肌が熱を帯びていく。
「支払いってのはさ、別に“現金”じゃなくてもいいんだよ」
ソファの端に座る私のすぐ隣に、がっしりとした男が滑り込んできた。その瞬間、肌の距離感が狂った。ソファのクッションが沈み、私の身体が自然に男の方へ傾いていく。
「ねえ、奥さん。何年、こういうこと、してないの?」
彼の手が、何の予兆もなく、私の膝に置かれた。皮膚の上を、熱が這っていく。
「やめて……っ」
声にならない抗議は、空気の中に溶けていった。
「本当に? 感じてないの?」
指先が、膝から太腿へ、ゆっくりと上っていく。ワンピースの生地越しに、優しく、けれど確実に輪郭をなぞってくる。私は目を閉じた。まるで、何かから逃れるように。
でも――その指先を、振り払うことはなかった。
「すごいな……身体が、応えてる」
耳元で囁かれたその言葉に、私の背筋がびくりと震えた。
ソファに背を預けたまま、彼の手が私の脚の付け根に触れた。下着越しに感じる、湿り気。自分の身体が、知らぬ間に濡れていたことに気づいたとき、私はもう抗えなかった。
「うそ……いや、こんな……」
「嘘じゃない。これは、奥さんの本音だろ?」
もうひとりの男が、背後から私の髪をかき上げ、肩越しに口づけを落とした。吐息が耳殻をかすめる。心臓が、皮膚のすぐ下で激しく打っていた。
そして、ワンピースの肩紐が滑り落ちる。
胸元が露わになった瞬間、彼の指がそっと乳房の輪郭をなぞった。吐息が喉から洩れた。
「こんなに敏感なのに……誰にも触れられてなかったなんて、もったいねえよな」
乳房を指先で弄ばれるたび、背中が反り返り、息が詰まった。
自分が“感じてしまっている”ことが、羞恥と興奮を混ぜ合わせる。
彼らの指が交差し、唇が首筋から鎖骨、そして胸元へ。私はされるがままに、床に押し倒された。
柔らかな絨毯の感触が、背中を包み込む。
パンティがずらされ、そこに指が触れたとき、私は声を抑えることができなかった。
「いや……や、あ……っ」
けれどその声でさえ、彼らには“承諾”として聞こえていたのだろう。ひとりが私の手を取り、唇に押し当て、もうひとりが私の中へとゆっくりと指を沈めていった。
湿度を孕んだ熱が、身体中に伝播する。
「気持ちいいか?」
「……っ、やだ……そんな、聞かないで……っ」
「素直になれば、もっといい思いできるのに」
口づけが、唇を、顎を、首を、あらゆる場所を埋め尽くしていく。私の身体はもはや、ただ“反応”していた。
腰が自然に揺れ、彼らの動きに応えるように喘ぐ。彼らの匂い、熱、そして太さまでもが、身体の奥へと押し寄せ、私を何度も高潮へと誘った。
その瞬間、私は“人の妻”でも“良識ある女性”でもなかった。
ただ、欲望に飲み込まれる“女”だった。
気がつけば、リビングは闇に沈んでいた。
彼らは、何事もなかったかのように去っていき、私は身体を横たえたまま、しばらく動けなかった。
脚の間には、まだ残された余韻がじんじんと疼いている。唇の端に、かすかに血の味が残っていた。
時計の針が、深夜を回っていた。
夫からの連絡は、なかった。
私はシャワーを浴び、肌についた彼らの痕跡を流しながら、それでも消えない熱に身を焦がしていた。
鏡に映る自分は、どこか見知らぬ女のように艶めいていた。
濡れた髪をタオルで拭いながら、ふと、胸元を開いた。そこには、彼らの唇が落とした赤い痕跡が、まるで焼印のように刻まれていた。
「私、戻れるのかな……」
けれど、その不安すら、どこか甘美だった。
あの日、私は壊れた。
でも、同時に、生まれてしまったのだ――
誰にも見せたことのない、本当の“私”が。
あれから、三日が経った。
夫は、あの日、あの時間のあとにふらりと戻ってきた。何事もなかったかのように靴を脱ぎ、冷えた顔で言った。
「……迷惑、かけたな」
私は頷くだけだった。
本当の迷惑は、まだ私の中で疼いていた。あの二人の男たちが置いていった「何か」が、身体の奥に残り続けていた。
夜になり、夫がシャワーを浴びている音を聞きながら、私は一人リビングでワインを飲んでいた。
グラスの向こうに、薄くなった月の光が揺れていた。
まるで――私の中にできた影そのもののように。
一週間後。
インターホンが鳴った。
「奥さん、こんにちは。ちょっと旦那さんにも、“お礼”言っとこうかと思ってさ」
声の主は、あのときの男たちだった。
心臓が、一瞬止まったように感じた。
私は反射的に玄関の扉を開けていた。体が先に、反応していた。
彼らは笑いもせず、ただ静かに言った。
「旦那さん、今日はいるんだよな?」
その言葉に、私は何も言えなかった。
リビングのドアが開いた。
「どうも。先日は、うちの奥さんが……」
夫が苦笑しながら、低く頭を下げた。
けれど次の瞬間、そのがっしりとした男の手が、私の肩を抱いた。
「奥さんさ、やっぱり忘れられなくてね。もう一度、味わいたくなっちまって……」
夫の顔が固まる。その視線が私に向けられたとき、私は思った。
――いま、何をすれば、すべてが壊れるのか。
そして私は、震える唇で、静かに頷いた。
「……いいわ」
リビングの空気が、音を立てて変わった。
夫の目が、私を見つめたまま、何かを喪失していくのがわかった。けれど、私の足は勝手に動いていた。彼の前で、ゆっくりと立ち上がり、スカートのホックに手をかける。
「えみ……お前……」
夫の声が震える。
けれど私は、何も言わず、ただゆっくりと膝をついた。床の冷たさが、あのときと同じだった。
「奥さん……いい女だな」
男の声が、あまりに優しく、残酷に響いた。
もうひとりの男が背後から近づき、私の髪を掻き上げ、唇を首筋に落とした。私は夫の顔を見たまま、目を閉じる。
視線の奥で、崩れていく愛情の形が見えた。
でも私は、止まれなかった。
スカートの裾が腰まで持ち上げられ、下着を引き下ろされる。夫がまだそこにいるとわかっていても、私の身体は、感じていた。
「あっ……ん……あ……」
声が漏れるたび、夫の目が微かに揺れる。
男の太い指が、すでに濡れていた奥へと滑り込み、私は腰を引いてしまう。
「やっぱり、忘れられなかったろ?」
彼の問いかけに、私はただ喘ぎながら頷いた。
「お願い……見ないで……」
夫に向けたその言葉は、哀願ではなく、告白だった。
見られていると思うほどに、身体の奥が疼き、快楽の波が押し寄せてきた。
「じゃあ旦那さんにも見せてやれよ。奥さんが、どう乱れるか」
その声が落ちた瞬間、私は仰向けに倒され、両脚を開かれた。
夫の視線の前で、私は完全に晒された。
胸元のボタンが引きちぎられ、乳房が外気にさらされる。彼の口がそれに吸い付くたび、私は全身を跳ねさせた。
「や、だめ……そんな、見てるのに……」
でもその“だめ”が、本当に拒絶だったのか、自分でもわからなかった。
むしろ――見てほしかった。
見られることで、私は“自分”に戻っていたのかもしれない。
やがて、身体を貫く熱が深く沈み、腰を揺らすたび、音が部屋に響いた。
濡れた肌と肌がぶつかる音。
吐息、喘ぎ、嗚咽。
すべてが夫の耳に届いている。
それなのに、私は止められなかった。
いや――止めたくなかった。
「奥さん……イってみろよ、旦那の前で」
その言葉が落ちたとき、私の中の何かが決壊した。
あふれるように、溢れ出す波。
身体が跳ね、声にならない声が喉を震わせる。
果てながら、私は夫の目をまっすぐに見つめていた。
その後、男たちは静かに立ち去った。何も言わず、煙のように。
私と夫は、リビングに取り残されたまま、しばらく無言だった。
やがて、夫が口を開いた。
「……君が幸せなら、それでいいのかもしれない」
その声に、私は涙を零した。悲しくて、ではなかった。
崩壊の果てに、私たちはようやく「本当の関係」に辿り着いた気がしたから。
あとがきのようなもの
夫の前で、すべてを曝け出したあの日。
恥も罪も、快楽も、愛も、そこにはあった。
私は壊れ、そして――赦された。
背徳の果てに見えた、静かな愛のかたち。
それはきっと、誰よりも“正直な私”の姿だった。




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