──彼の指が彼女をほどくたび、私は息を止めて、それを目でなぞった──
彼女を誘ったのは、ほんの気まぐれのはずだった。
マッチングアプリで見つけた男、高橋さん。32歳。
やり取りの端々に、手慣れた大人の余裕と、どこか古い映画を思わせる湿った影があった。
──触れられたら、たぶん、私は壊れる。
それが、最初の印象だった。
「挿れないっていう約束でさ、ちょっとだけ、遊んでみない?」
軽く言ったつもりだった。
けれど私の声が、どこか震えていたことに、彼女は気づいたのだろうか。
彼女の視線は、少しだけ、私の頬の奥を探るように静かだった。
ホテルの702号室。
ドアが開いた瞬間、柔らかい照明と男の香水が、私の奥で目を覚ました。
シーツに染み込んだ誰かの名残と、無言で鎮座する大きなベッド。
私たちはまだなにもしていないのに、肌がひりついていた。
「二人とも、来てくれて嬉しいよ。無理せず、気持ちのいい範囲で──ね」
その“気持ちのいい範囲”という曖昧な言葉が、なぜだか身体の芯に熱を落とした。
境界線を踏み越える合図は、いつだってこんなにも曖昧で、やさしい。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、彼女はすでにソファに腰を掛けていた。
白いガウンの隙間から覗く肩。うなじ。素肌の湿気。
湯気の名残が、彼女の髪の間から、まるでフェロモンのように漂っている。
(なんで……そんな顔するの)
隣に腰かけた私に向けて、彼女は微笑んだ。
その微笑みは、まるで“私は大丈夫”と伝えるための盾だった。
けれど、私にはわかっていた。
彼女のその笑顔の奥にある、どこか火照った迷いのようなものが。
そしてその火照りが、私の心と身体の奥深くで、音もなく共鳴していた。
私は、わざと視線を外した。
けれど、彼女の肌の記憶だけが目の裏にこびりついて離れなかった。
最初に触れたのは、彼女だった。
彼の手が、彼女の肩にそっとふれる。
何気ないはずの仕草が、まるで最初から彼女の身体を知っていたように、迷いなく鎖骨のくぼみをなぞる。
そのときの、彼女の微かな吐息──「……あ、ん……」
私は、あの声を忘れられない。
指先よりも、唇よりも、その小さな音が、私の中に火をつけた。
ガウンがわずかに滑り落ち、露わになった乳房の丸みに、彼の親指がふれる。
彼女は目を閉じ、小さく身をよじる。
(そんな顔、するんだね……)
私の太ももが、じっとりと汗ばむ。
その湿気が、熱を孕みながら内側を伝っていく。
「沙耶香ちゃんも、こっちにおいで」
その声は、彼のものだったけれど、私の身体を動かしたのは、彼女の視線だった。
私を見ていた。
彼に弄ばれながらも、彼女は、私を見ていた。
(誘ってる?それとも、訴えてる?)
私は彼の隣に座った。
けれど私の目は、彼を通り越して、彼女の胸の先端に滲む硬さへ向かっていた。
彼女の呼吸は早く、全身が小さく揺れていた。
彼女の手が、私の手にふれる。
そして、乳房の上へと導かれる。
それは、まるで合図のようだった。
(触れて……ここにも、欲があるよって)
そう言われた気がして、私は指をそっと、乳首に添えた。
「……んっ」
彼女の声が、喉の奥から跳ねるように漏れた。
乳首が、私の指に吸い付くように硬くなっていく。
まるで、私を受け入れているようで──私は耐えられずに、自分の膝をぎゅっと閉じた。
でも、濡れてしまっていた。確実に。
彼が私の脚をゆっくりと開かせる。
太ももの内側を撫でるたび、ガウンの裾がずれていく。
そして、中心にふれた瞬間、身体がびくりと震えた。
「……はぁ、ぅ……」
言葉にできない快楽が、喉の奥から漏れる。
彼の指先が、私の中にある欲の扉を、やさしく、そして確実に開いていく。
けれど、私の視線は彼には向いていなかった。
彼女だった。
彼女が、私を見ている。
脚の奥が濡れていく様を、彼の手によって開かれていく私の秘部を、彼女が目で舐めていた。
その視線に、私は、自分の奥がぎゅっと締まるのを感じた。
(ねえ……あなたも、欲しいんでしょう?)
彼が彼女に向き直る。
そして、彼女の中心にふれた瞬間──
彼女が「っあ……ぁっ……」と漏らした声に、私は身体を崩しそうになった。
その吐息だけで、私は絶頂してしまいそうだった。
身体が火照り、手が勝手に自分の胸へ、脚の間へと伸びていく。
彼女が彼の指で達しそうになるたび、私は息を止めて、それをなぞっていた。
指の動き、脚の震え、唇の開き方。
私の身体は、彼女の感度に同期していた。
彼の手が彼女の腰を掴むと、彼女の脚がその腰に絡みついた。
目を細めて喘ぐ彼女が、唇を濡らしながら小さく名前を呼ぶ。
……彼の、ではなかった。
私の名前だった。
「……沙耶香……」
その瞬間、私は声を殺して泣いた。
私もまた、彼の指のなかで達した。
けれど、彼の顔は見なかった。
見られたくなかった。
私が誰に向けてイったのか、知られたくなかった。
朝。
静かな光が、世界を何もなかったかのように包み込んでいた。
けれど、私の中には、熱の残り香が、まだ消えずに漂っていた。
彼女の背中を見送るとき、私は心の中で、名前を呼んだ。
誰にも届かないように、誰にも聞かれないように。
それでも、その名前は私の中に、深く染み込んでいた。
──私はあの夜、彼に抱かれながら、
彼女のすべてに堕ちたのだった。




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