ハプニングバー人妻NTR 「あなたのためよ…」と言っていた妻がいつしか群がる男たちに夢中になっていた。 古東まりこ 野上しおり
「愛しているのに、なぜ触れられないのか」――そんな問いから始まる心理ドラマ。
舞台は“見ることと見られること”が交錯する会員制クラブ。
夫婦の絆、嫉妬、そして欲望の正体が、夜の灯りの中で少しずつ露わになっていく。
官能を超えて、人が誰かを愛するとは何かを問う大人の物語。
【第1部】渇きの予感──誰にも気づかれない夜の温度
妻の名は沙耶(さや)。三十七歳。
結婚してから十五年、今も穏やかな笑顔を絶やさない。
俺、俊介は神奈川の海沿いで小さな広告代理店を営んでいる。
仕事は順調、家もある、息子は中学生になった。
けれど、夜の寝室は静かすぎた。
ベッドの中央には、うっすらと温もりの境界線。
いつの頃からか、そこを越えるのが怖くなっていた。
理由は思い当たらない。
ただ、妻の背中が淡い光を受けて白く浮かぶたび、
指先がそれをなぞる前に、心が先に退いてしまうのだ。
沙耶は、俺の変化を知っていたのだろう。
食卓でふと、
「最近、夢の中でも会えないね」と笑った。
冗談のような響きだったが、
その笑みの奥に、ほんの一瞬、寂しさが滲んだ。
その夜、風が強く、カーテンが鳴った。
海の匂いが薄く流れ込み、部屋の中を撫でていった。
俺は眠れず、暗闇の中で沙耶の寝息を聴いていた。
浅く、少し乱れている。
夢の中で誰かを思い出しているような息だった。
胸の奥に、得体の知れないざらつきが広がる。
嫉妬ではない。
それはもっと湿った、蠱惑的な感情だった。
妻の中に、俺の知らない温度がある。
そのことが――なぜか、ひどく興奮を呼び起こした。
翌日、仕事帰りに車を停め、しばらく夜の街を眺めていた。
繁華街のネオンが雨に滲み、
人々の影が交わっては離れていく。
どこかの路地に、「会員制」の看板が小さく灯っていた。
――会員制ハウス・ノクターン。
何の店かも知らずに、俺はその灯に心を奪われた。
そこに、まだ名もない欲望が微かに呼吸している気がした。
【第2部】誘いの灯──見つめること、見つめられることのはじまり
ノクターン。
扉を開けると、湿った空気がゆっくりと頬を撫でた。
照明は落とされ、赤いランプが壁際でぼんやりと呼吸している。
音楽は静かに流れているが、旋律よりも人の気配の方が濃かった。
「ここ、何の店なの?」
沙耶が囁くように尋ねた。
「ただの会員制のバーだよ。雰囲気がいいって聞いた」
そう答えながらも、胸の奥では別の鼓動が鳴っていた。
嘘ではない。けれど真実でもない。
カウンターの奥で、銀色の髪を束ねた女性が微笑んだ。
「ようこそ。初めてですね」
声に艶がある。
店内を見渡すと、どのテーブルにも男女が寄り添っていた。
誰もが、誰かの秘密を抱えているようだった。
グラスが二つ運ばれてきた。
琥珀色の液体が揺れる。
一口飲むと、舌の上でほのかな苦味が広がる。
その苦味が、心の奥の渇きを少しだけ和らげた。
沙耶は周囲の空気に戸惑いながらも、どこか楽しげだった。
瞳が微かに光っている。
「みんな、なんだか…見られてるのが好きそうね」
彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。
まるで心の奥を覗かれたようだった。
やがて、店の奥で男がひとり立ち上がった。
黒いシャツのボタンを外し、女の髪に指を滑らせた。
その動作ひとつに、周囲の視線が集まる。
誰もが息を殺し、音もなく見つめていた。
そこには淫らさよりも、神聖さに近い緊張があった。
「…きれい」
沙耶が呟いた。
その声には驚きも戸惑いもなかった。
ただ、静かに見惚れていた。
頬がわずかに紅く染まり、指先がグラスを強く握っている。
俺は彼女の横顔を見つめながら、
胸の奥で何かが壊れ、そして形を変えたのを感じた。
“見られる”ことを恐れていた妻が、
“見る”側に立っている。
その夜、帰り道。
雨上がりのアスファルトに街灯が滲んでいた。
沙耶は黙ったまま、俺の手を握った。
その手は温かいのに、どこか知らない人のもののようだった。
「ねぇ、また行ってみない?」
家の前で、彼女がぽつりと呟いた。
声は小さかったが、確かに熱を帯びていた。
俺の中で、何かが静かに頷いた。
――見ること、見られること。
その境界が、あの夜を境に消えていった。
【第3部】境界の消失──見えない場所で、心だけが裸になる夜
翌週、再びノクターンの扉をくぐった。
外は冷たい雨。けれど、店内の空気は妙に温かく湿っていた。
琥珀色の灯がゆっくりと呼吸を続ける。
誰もが他人であり、誰もが同じ孤独を抱いている。
沙耶はいつもより静かだった。
髪を束ね、黒いドレスの背中がわずかに開いている。
肩甲骨の曲線が光を受け、まるで何かの儀式のように神聖だった。
「今日は……ただ、見てて」
その言葉に、俺の中の時間が止まった。
何を見せるつもりなのか。
彼女の声は、恐れではなく決意を帯びていた。
照明がさらに落とされた。
音楽が遠のき、人の息づかいだけが残る。
沙耶はゆっくりと一歩前に進む。
その動作ひとつで、周囲の空気がざわめいた。
誰かの視線が彼女を包む。
俺の目の前で、沙耶は“誰かの光”の中に溶けていった。
そこに痛みはなかった。
ただ、愛という言葉が形を失っていく音が聞こえた気がした。
――見られるということは、奪われること。
――けれど、その瞬間にこそ、本当の自分が露になる。
沙耶の横顔は穏やかだった。
まるで、長い夢から目覚めた人のように。
俺はその姿を見つめながら、
胸の奥で何かが崩れ落ち、同時に解放されていくのを感じた。
外に出ると、雨は上がっていた。
街灯が濡れた路面を照らし、無数の光が揺れていた。
沙耶は小さく笑い、
「ねぇ、今夜のこと、忘れないでね」と言った。
その笑顔の奥には、もう俺の知らない誰かがいた。
だが、不思議なことに嫉妬はなかった。
むしろ、ようやく“本当の妻”に出会えたような安堵があった。
それが、愛の終わりなのか、始まりなのか。
答えは今もわからない。
けれど、あの夜の光景だけは、今も瞼の裏で息づいている。
まとめ──欲望の果てに見えたもの
欲望は、汚れたものでも罪でもない。
それは人が「自分を確かめたい」と願う心のかたちだ。
沙耶と俺がたどり着いた夜は、愛の崩壊でも背徳でもなく、
“互いを見つめ直す”という再生の儀式だったのかもしれない。
人は触れることで愛を確かめ、
見つめることで孤独を知る。
そして、孤独を受け入れたとき、初めて他者の存在を真に抱きしめられるのだ。
ノクターンの赤い灯は、今も心の奥でゆらめいている。
あの店の湿った空気、
交わされない視線、
そのすべてが、俺に“生きている実感”を教えてくれた。
愛とは、永遠に所有できないもの。
それでも、触れようとする瞬間にだけ――
確かに、ふたりは一つになる。
その夜を境に、俺はようやく知った。
妻を愛することと、妻の自由を愛することは、
同じ痛みから生まれるのだと。




コメント