あん時のセフレは 彼女の母親 白木優子
白木優子が演じるのは、母としての責任と女としての本能のあいだで揺れる女性。
表情ひとつ、息遣いひとつに、歳月が刻んだ哀しみと熱が宿る。
禁忌というテーマを越えて、人の心に潜む「赦しと情愛」を描いた濃密な人間ドラマ。
映像の美しさと心理の深さに惹き込まれる一本です。
再会の予感──静かな午後に満ちる痛み
夕暮れの陽が低く、街の端を金色に染めていた。
白木優子(53)は、長い髪をひとつに結い、商店街の裏にある古い美容院の前で立ち止まった。
鏡越しに映る自分の顔は、かつてより少し痩せて、頬の骨が際立って見えた。
六年前、娘との確執を抱えたままこの街を離れてから、一度も戻らないと決めていたのに──。
風が、微かにシャンプーの匂いを運んできた。
あの日、源太(32)が初めて娘を紹介してくれた日の午後も、こんな匂いがしていた気がする。
彼の声。笑い方。ふとした沈黙の温度。
それらが記憶の奥から立ち上がるたび、胸の奥が静かに疼いた。
優子は胸の前で両手を組み、深く息を吸い込んだ。
過去を封じたつもりで積み上げた年月が、いとも容易く崩れていくのを感じながら。
遠くから子どもの泣き声が聞こえた。その音が、奇妙に現実を引き戻した。
──あの子にも、もう子どもがいるのね。
時間の残酷さと愛しさが同時に胸を締めつけた。
彼と娘の家は、この先の坂を登ったところにある。
その距離を歩き始めた瞬間、地面から立ち上る熱気が足元にまとわりついた。
優子は目を閉じ、唇をわずかに噛んだ。
自分が向かおうとしている場所が、赦しなのか、破滅なのか。
まだ誰にもわからなかった。
沈黙の体温──母と女のあいだで
玄関のチャイムが鳴ったとき、優子はまるで過去そのものが呼び鈴を押したように感じた。
扉を開けると、そこに立っていたのは源太だった。
六年という時間が、彼の頬の線を引き締め、眼差しに静かな影を宿らせていた。
「久しぶりですね、優子さん」
その声が、皮膚の下を震わせた。
呼吸のしかたを忘れるほど、名前を呼ばれるという行為が甘い罰になる。
家の中には、洗い立てのタオルとミルクの匂いが漂っていた。
赤ん坊の声が遠くから聞こえる。
その響きが“家族”という現実を刻みつけるたび、優子の心は細かくひび割れていく。
源太がカップを差し出す。
指が、ほんの一瞬触れた。
それだけのことで、全身が記憶の熱に染まる。
熱を持ったのは肌ではなく、言葉を飲み込む喉の奥だった。
沈黙が二人のあいだに座り込む。
かつて愛した男と、娘の夫として向き合うこの瞬間。
許されない、けれど確かにまだ存在している何かが、ゆっくりと呼吸を始める。
優子は、源太の横顔を見つめながら思う。
人は、忘れるために生きるのか。それとも、思い出すために生きるのか。
窓の外では夕立が降り始めていた。
雨粒がガラスを叩く音が、心の律動と重なっていく。
彼がふと立ち上がり、雨音の向こうに何かを言いかけてやめた。
その言葉にならなかった想いが、部屋の空気を濃くする。
そしてその濃度が上がるほど、優子の中の“女”が目を覚ましていくのを、彼女自身が恐れていた。
赦しの夜明け──過去がほどける音
夜は、音を吸い込むように深まっていった。
窓の外では雨がやみ、濡れた舗道に街灯が柔らかな輪を落としている。
白木優子は、リビングの灯りを落としたまま、ひとりカーテンの隙間から外を見ていた。
濡れたアスファルトが月を映し、まるで時の底が静かに光っているようだった。
背後に足音がした。
源太が、眠った子どもを布団に寝かせたあと戻ってきたのだ。
二人のあいだには言葉がいらなかった。
その沈黙が、かつてのどんな言葉よりも、真実に近かった。
「……あのとき、どうしてもあなたを憎めなかった」
源太の声が、暗がりの中でほどけた。
優子は目を閉じる。
胸の奥に溜めていた痛みが、静かに溶けていく音がした。
赦しとは、過去をなかったことにすることではない。
ただ、その痛みを抱いたまま、歩けるようになること。
彼の指先が、テーブルの上でそっと動いた。
触れることはなかったが、その動きが風を変えた。
月が雲間から顔を出し、薄い光が彼の頬を照らす。
その光の中で見えたのは、男でも婿でもなく、ひとりの人間の孤独だった。
優子は初めて、母でも女でもなく、ただ「人」として彼を見た。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
それは悲しみではなく、やっと息をつけた安堵の涙だった。
過ちも、渇望も、赦しもすべて、時間という名の夜に溶けていく。
夜明け前、優子は玄関に立ち、そっと靴を履いた。
振り返ると、源太がドアの影から見つめていた。
何も言わず、ただ目で“ありがとう”と告げた。
そのまま、扉を閉める音だけが静かに響いた。
外の空気は冷たく澄み、遠くで鳥の声がした。
新しい一日が始まる音だった。
過去は消えない。
けれど、痛みを知った二人の心には、確かに光があった。
まとめ──痛みの向こうにあるもの
人は誰しも、忘れたい記憶を抱えて生きている。
けれど、記憶は消すものではなく、磨くものだ。
白木優子が再びこの街に立ち、過去と向き合った夜は、赦しの物語であり、再生の夜明けだった。
触れ合うことよりも、触れなかった距離が官能を生み、
言葉を交わすよりも、沈黙が愛を伝えた。
それは、肉体ではなく魂の温度で結ばれた夜。
そしてその温度は、朝の光に溶けながら、静かに世界のどこかで脈打ち続けている。




コメント