【第1部】北関東の街で営業スマイルを纏う36歳の女が抱えた乾いた夜
私の名前は美沙子(36歳)。
北関東の地方都市、駅前にある小さな不動産会社で営業をしている。生まれ育った東京を離れ、夫とも別れ、気づけば独り身のままここに落ち着いて数年が経った。
平日はスーツに身を包み、柔らかな笑顔を絶やさず客を迎える。
女性客には「感じのいい人」と映り、男性客には「どこか特別に扱ってくれる女」に見えるらしい。私はそれを知っていたし、時に無意識に、時に意図的に、その立ち位置を利用してきた。
だが、帰宅すればワンルームの狭い部屋でひとり。
食器を重ねた流し台、まだぬくもりを残したはずのベッドも、夜になると冷たく乾いていく。鏡に映る自分の肌は、日に日に潤いを忘れ、欲望を置き去りにしていくようで怖かった。
だからこそ──
若いカップルが部屋探しに訪れるとき、私は心の奥で静かにざわめいた。
彼女の横に立つ彼の横顔。会話の中でふと零れる笑い声。彼女が気づかぬ隙に私と交わる視線。
その一瞬一瞬が、私の枯れた夜に水を差し込む。
幸福そうな二人を前にすると、胸にはひび割れのような痛みが広がり、同時に背徳の甘い香りが漂い始めるのだ。
「いい物件が見つかるといいですね」
口ではそう言いながら、内心では──
「もし彼女のいない時間に、彼と二人きりになれたら…」
そんな想像をしてしまう。
営業スマイルを保ちながらも、視線の奥では女の渇きが蠢いていた。
【第1部】北関東の街で営業スマイルを纏う36歳の女が抱えた乾いた夜(続き)
その日の午後、私が応接室で待っていると、ガラス戸を押し開けて入ってきたのは二十代前半と思しきカップルだった。
男はまだ学生のような幼さを残しながらも、すらりと背が高く、襟元から覗く鎖骨が妙に色っぽい。隣にいる彼女は小柄で可愛らしく、真新しいワンピースに包まれていた。
「こんにちは。予約していた田島です」
彼がそう言ったとき、私はとっさに作り笑いを浮かべた。
「お待ちしておりました。どうぞおかけください」
二人が腰を下ろす瞬間、私の視線は彼の膝から足首までを無意識に追っていた。
引き締まった太ももの曲線、薄手のシャツ越しに伝わる若さの匂い。彼女の隣にいる男であるにも関わらず、私の内側では抑えていた渇きが小さな音を立てて溶け出していった。
彼女は資料に夢中で、間取りや設備を真剣に眺めている。
だが、彼は時折こちらの視線に気づき、わずかに戸惑うような笑みを返してきた。その一瞬の「秘密の交換」が、私の心を揺らした。
──この若さに、触れたい。
──この無防備な温もりを、自分だけのものにしたい。
「この部屋なんかどうですか? 日当たりもよくて、二人にはちょうどいい広さですよ」
営業口調の裏で、私は彼の横顔ばかりを追っていた。
彼女がうなずくたび、彼の瞳はわずかに揺れ、そこに私だけが気づく影が差していた。
「ユナさんって…すごく優しいですね」
ぽつりと彼が口にした言葉。
その声は彼女にではなく、私の耳の奥深くにだけ届いた気がした。
瞬間、私は自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。
営業スマイルは保ちながらも、膝の上に重ねた自分の指先が小さく震えている。
「優しい、だなんて…」
私は声を抑えて笑いながら、ほんの少しだけ視線を落とした。
だがその内心は、まるで燃え広がる火の粉にあおられているようだった。
幸福そうに笑い合うカップルの姿が、私の孤独を際立たせる。
愛されていない夜、冷え切ったシーツ、何も映さない鏡の中の肌。
その全てがいま、彼の存在に触れることでひどく痛み、同時に甘く疼いていた。
【第1部】北関東の街で営業スマイルを纏う36歳の女が抱えた乾いた夜(案内の駆け引き)
物件の鍵を開け、三人で玄関をくぐった。
狭い廊下を先導する私の背中に、彼の視線が触れている気がした。革靴の足音がわずかに近づいたとき、私は故意に歩幅を小さくしてみる。肩先に漂う私の香水の残り香が、彼の呼吸に届いているのだろうか。
「こっちがリビングですね。日当たりがいいんですよ」
振り向くと、彼女は窓際に駆け寄りカーテンを開け放った。光が差し込んで彼女の影が壁に揺れる。
その隙に、彼と私の視線がふと絡んだ。
──見ている。
ほんの一秒もなかったかもしれない。
だが、その短い交差に胸の奥が疼き、営業スマイルの裏で舌が乾いた。
「収納はこちらに…」
扉を開け、彼に見せる仕草のとき、わざと指先を長く伸ばす。マニキュアの艶やかな赤が光を拾い、彼の目に映ったことを確信する。
彼女はまだ窓の外を眺めている。
だから私は、彼の瞳をまっすぐ受け止め、ほんの刹那だけ微笑んだ。
その小さな背徳が、心臓を跳ねさせる。
「この瞬間、彼女のいない世界に私たちはいる」
そんな錯覚に酔いながら、私はさらに一歩、女の領域へ足を踏み入れていく。
──もし、このまま二人きりで部屋を歩いたら。
──もし、鍵を閉めて、誰にも邪魔されず彼の声を聞けたら。
妄想は急速に膨らみ、頬の奥が熱を帯びていく。
営業用に作られた笑顔は変わらないはずなのに、その奥では甘い吐息がこぼれそうだった。
「どうですか? 二人の新しい生活が、ここなら始められそうですか?」
私はあえて「二人」という言葉を強調し、声を低く落とす。
彼女が答えを探す沈黙の間、彼は視線を逸らすふりをして、唇の端をわずかに緩めた。
──ああ、気づいている。
私が女であることを、彼も確かに知ってしまった。
【第2部】鍵が閉まる音とともに始まった背徳の密室
「今日はありがとうございました」
案内を終え、彼女と彼が事務所を後にしたとき、私の胸はまだ熱く波打っていた。
あの一瞬一瞬の視線──彼も確かに、気づいていた。
数日後、私は彼だけに連絡を入れた。
「少しお話があるので、会社に寄っていただけますか?」
仕事の名を借りたその一文に、彼が応じるかどうか不安で震えた。
だが当日、ドアが開いた瞬間、彼はそこに立っていた。
「彼女は?」
私が問いかけると、彼はわずかに目を泳がせた。
「今日は来られなくて…」
その答えを聞いた瞬間、私の中で理性の最後の糸が切れた。
ドアを閉める音が、やけに重く響いた。
鍵を回すと、世界は二人きりの密室に変わる。
営業スマイルは霧散し、私の瞳に映るのは「女の渇き」だけだった。
「……どうして俺なんですか」
彼の声は震えていた。
私は一歩近づき、喉奥から洩れるように囁いた。
「理由なんて、いらない。ただ、あなたが欲しい」
次の瞬間、唇が重なった。
彼の吐息が私の奥深くに流れ込み、抑え込んでいた乾きが一気に解き放たれる。
胸が触れ合うたびに、布越しの熱が火照りを煽る。
「んっ…あぁ…」
抑えきれない声が唇の隙間から洩れる。
彼の手がためらいがちに腰に触れたとき、その指先の震えすら愛おしく感じた。
スーツのジャケットが床に落ちる音。
閉ざされた空間に二人の荒い呼吸だけが重なり、鼓動が互いの胸に打ちつけられる。
「ユナさん…俺、止まれない…」
「いいの…止めないで。もっと…」
その囁きに続くように、指先が背中を辿り、秘められた疼きに触れた。
私は目を閉じ、渇いた夜にようやく訪れた熱に身を委ねた。
【第3部】愛を盗む快楽と罪悪感に濡れた絶頂の夜
彼の体温が、私の肌の奥まで押し寄せてきた。
布が剥がれ、互いの素肌が重なった瞬間、私は久しく忘れていた“生きている証”を取り戻した。
「ユナさん…」
彼の声は掠れ、切羽詰まった熱を帯びていた。
名前を呼ばれるたびに、女としての存在が刻まれていく。
唇から漏れる声を抑えきれない。
「んっ…あぁ…だめ…」
腰が勝手に彼を迎え入れ、奥深くに波が広がる。
一突きごとに、背徳と快楽が渾然となって全身を貫き、指先はシーツを必死に握り締めていた。
「もっと…奥まで…」
自分でも信じられない声が洩れた。
彼の瞳が熱に揺らぎ、荒い吐息と共に深く沈み込んでくる。
「あぁっ…そこ…だめぇ…!」
声は切れ切れになり、絶頂の震えが全身を痙攣させる。
幾重にも波が押し寄せ、頭の中は白く染まった。
絡み合う汗が滴り、互いの肌を艶めかしく滑り落ちていく。
鍵を閉めたあの密室には、もはや仕事の顔をしたユナはいなかった。
ただ、罪悪感と快楽の狭間で喘ぐひとりの女だけがいた。
やがて彼が私の胸に顔を埋めたまま、荒い呼吸を落ち着かせようとしている。
私はその髪を撫でながら、胸の奥で囁く声を聞いた。
──なぜ、こんなことをしてしまうのか。
答えはわかっている。
私は誰かに愛されたいのではない。
誰かの愛を盗み、侵すことでしか、女である自分を確かめられないのだ。
密室の熱は少しずつ冷めていく。
だが、刻まれた官能の痕跡は、夜を越えても消えることはなかった。
まとめ──背徳に濡れた女が見出した〈愛の盗み方〉
この体験は、幸福や安らぎを求めたものではない。
それは、孤独に乾いた女が「盗む」という背徳の行為によってのみ自分の存在を確かめられた、危うくも激しい官能の瞬間だった。
彼と彼女の間に流れていた愛情を、私は一時的に奪い取った。
罪悪感は確かにある。
だがその罪こそが、私を女として再び呼吸させ、生きている実感を与えたのだ。
「愛されたい」のではなく、
「奪いたい」「侵したい」という衝動に震える自分。
それは決して美しいものではない。
けれど、女の渇きを癒すのは、清らかな愛ではなく、背徳に濡れた刹那の熱だった。
扉を閉め、鍵を回したあの日の音。
その響きは今も耳の奥で鳴り続けている。
私は忘れない。
──誰かの愛を盗むことでしか、女である自分を確かめられないという事実を。
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