会社にお勤めしていたときに、お仕事帰りに私は同僚の子と一緒に串かつ屋さんに行ったのです。
すると間もなく、会社の先輩男性が、お友達と一緒に偶然そのお店来られました。
その頃二人とも彼氏がいなくて男性とプライベートで話す機会がなかったせいもあり、なんだかハイテンションになった私達は、そのままカラオケに行くことになり、散々歌って飲んで気づくとかなり酔ってました。
昔は、飲酒運転がいまほどうるさくなかったので、その先輩が帰りに順番に皆を送って下さり、最後は私の番となりました。
お家の近くの街灯のない暗いモータープールに先輩は車を止めました。
『少し話ししようか』
「うん。私、酔っちゃいました。」
『しかし、陵子ちゃんってグラマーだよね。』
「えー、先輩恥ずかしいこと聞かないで下さいよ。」
『本当だからしかたないじゃん。サイズとカップ教えろよ。』
「えー恥ずかしいなぁ」
『言え!』
強引な先輩に私は圧倒されました。
でも、少しエッチなその妻子持ちの先輩には少し好意を持っていましたので、これからどうなるってしまうんだろうと恐さ半分期待半分でいたことは拭えない私の気持ちでした。
「88のEカップです。」私は少し自慢げに答えました。
いまでこそ、このサイズとカップは普通ですが、今から25年前の当時は、これで十分巨乳と言われ私の密かな自慢でもありました。
『スゲーじゃん。前からいつかご馳走になろうと狙ってたんだけど、改めて感動したよ。』
「うそばっかり。ホントは何人も狙ってたんじゃないんですか?」
『違う。陵子ちゃんだけを狙ってた』
「本当ですか」
私は心の中でとてもうれしく思い、お酒に酔ってエッチな気持ちが重なったのですが、その瞬間にシートを倒され、そのまま先輩に唇を唇で塞がれてしまったのです。
私達は、ディープなキスに酔いました。
そして、手の早い先輩に胸のボタンを外されおっぱいを鷲掴みにされ激しく吸われました。
私はもう完全に理性を失い先輩のなすがままに受け入れて…。
気が付けば、私の濡れに濡れきったあそこに先輩のモノが挿入されていて、ピストンされていました。
久しぶりのセックスだったので、最初だけ少しだけ痛みを感じましたが、その後はめくるめく快感で私のあそこは洪水状態となり先輩の車のシートを汚してしまい、しばらくして先輩は私のお腹の上に大量に発射果てたのです。
次の日に、会社の廊下でその先輩と擦れ違ったとき、私は恥ずかしくてどんな顔をすればよいのかわからず、下を向いて通り過ぎようとしました。
すると、先輩は擦れ違う寸後に私のお尻を鷲掴みにして、耳元で囁いたのです。
『今日6時まで残業して、帰りに駅の待合室で待ってろよ。オレもすぐ追っ掛けるから。』
「えっ」
私が返事をするまえに彼は通り過ぎていきました。
仕方なく、というより、昨日の余韻で体のほてりが取れず、私は彼の命令に従い、彼を待ちました。
正直にいいますと、待っている間、昨日のことを思い出し、誰もいなければオナでもしてしまいそうなくらい私は興奮していました。
そこへ彼が現れ、『行くぞ。』と言われて、私は何も言わずついていき…。
車に乗り込みますと、彼は黙って海の見える貿易港の突堤まで車を走らせました。
『お前、昨日オレに抱かれて嫌だったか?』
彼は妻子持ちなので複雑ではありましたが、抱かれた女の弱さです。
私は正直にうれしかった気持ちを彼に伝えました。
『お前は、オレのものだ。今日からオレの女になれ。』
彼から命令口調でそう言われ、生まれからそんなことを言われたことがなかった私は、金縛りにあったかのようにその言葉を素直に受け入れて、「はい」と返事をしてしまったのです。
その後は、また彼にキスされて胸に手を入れ揉みくちゃにされて脱がされ、彼の唇が私の乳首を執拗に吸い、既に私のあそこはずぶ濡れになっていました。
気が付くと、私は寝かしたシートに四つん這いにされていて、バックから彼を受け入れていたわけです。
それから毎日のように、私は駅の待合室で彼を待っては、カーセックスに耽る日々を重ねました。
彼のモノをお口に含むようになったのは、三回目のセックスからです。
彼はフェラが好きなので、彼に悦んでもらおうと必死にしゃぶりついていた頃のことを思い出します。
雑誌などでフェラの勉強までしたくらいです。
やがて彼は、勤務時間中も内線で私を呼び出し、会社の倉庫や非常階段などでも私にフェラさせるようになり、退社後帰り道の脇にあるマンションの裏などでもフェラを求めるようになりました。
夏休みなどは、彼がお家の方に嘘をつき、二人で兵庫県の竹野海岸に海水浴に行ったり、大阪の摂津峡の混浴露天風呂などにも行ったりして野外プレイなども頻繁にするようになりました。
彼とは、ありとあらゆる場所でセックスやフェラをしました。
カーセックスは、神社の駐車場や公園の脇などはもちろん、高速道路の非常停止帯やコンビニの駐車場、挙げ句の果てには人が通る繁華街のはずれに路上駐車してしたことさえあります。
また、外では、昼間から池の端や田畑、郊外の大型薬局のトイレや、夜間の病院の待合い椅子の上など、それに屋上に上がれるビルを見つければ必ずいわゆる立ちまんをしていました。
やがて彼は、いわゆるハメ撮りやフェラ撮りもするようになり、だんだんエスカレートして、道端で彼が立ち小便をした後に、しずくがついたままのアレを私にきれいに吸い取れと命じたり、私に野外放尿や脱糞まで要求するようになったのです。
彼の機嫌を損ねて捨てられるのが恐くて、私はすべての要求に従いました。
ラブホでは、浣腸されて我慢できずに撒き散らしてしまった自分の汚物を一人で片付けさせられ、精液はもちろん彼のおしっこも飲んでいました。
でも、彼は妻帯者で私は独身という関係はいつまでも変わりませんでした。
いつ彼に捨てられるかわからない。そんな心細い日々を重ねていたある日、避妊に失敗した私はついに妊娠してしまいました。
今から考えると天罰であったに違いありません。
しかし、産めるわけもなく、私は大切な命を闇から闇に葬ってしまいました。
そのことがいまでも悔やまれてなりません。
悪いことはできないもので、その後、不倫が社内でバレてしまい、彼と私は会社を追われるはめとなったのです。
それでも私達の関係は切れることなく、もう止めにしようという彼を一方的に私が追いかけて、私が女の武器であるいやらしい体で彼を引き止め続けたのです。
気が付けば私も33歳になっていて、彼との8年が過ぎていました。
その頃には、彼が私のことを、いつでもどこでもヤラせる都合のいい性欲処理係としか思ってないということもはっきりとわかっていました。
彼に、目線入りですが、いわゆるハメ撮り写真を投稿写真誌に投稿され、世間の晒しものにされたことも10回以上あります。
そして、彼の陰に別の女がいるということにも気づいていましたが、彼の女になってから私がお見合いで今の主人と結婚するまでの十年間、私は彼の性欲を処理するだけの肉奴隷の日々を送ったのです。
いまは幸せですが、時々彼との変態プレイを思い出し濡れる私はバカな女です。
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