【第一章:視線に触れるとき】
春。肌寒さが残る風の中に、どこか艶めいた湿度が混じり始めた頃。
夫の転勤で、私たちは都内の静かな住宅街に引っ越してきた。 築年数の経った低層マンション。角部屋。2階の南向き。陽当たりは良いが、どこか閉じた箱庭のような構造。
私は38歳。フリーのデザイナーとして在宅の仕事が中心で、夫は朝から晩まで社に縛られている。会話は少ないが、円満だと他人には映っているだろう。
けれど、心のどこかがずっと、乾いていた。
あの夜まで。
――お風呂上がり。湯気のまだ残る浴室から出て、薄いガウンの前を緩く合わせたまま、私はいつものように窓際に立った。
カーテンを引く前、何かが視界の隅に引っかかった。
斜め向かい。隣棟の2階。向こうの部屋の暗がりの中に、人影があった。 動かない。けれど、確かにこちらを見ている。
私は、心臓が一瞬きゅっと縮むのを感じた。
けれど、逃げなかった。
髪に指を通しながら、わざとガウンの裾を整えるふりをして、肩をさらけ出す。
右脚を半歩引く。太ももがガウンの間からあらわになる。 胸元は、ゆるく結ばれたリボンひとつ。
鏡越しに視線を泳がせながら、私は静かに微笑んでいた。
なぜか、身体の奥がじんわりと熱を帯びていた。
それが始まりだった。
その夜から、私は変わってしまった。
翌日、彼の姿を日中に見かけた。若い。まだ輪郭のあどけなさを残した顔。黒髪。痩せていて、背が高い。春から一人暮らしを始めた大学生なのだろう。
その夜も、私はいつも通りにシャワーを浴び、 それまでとは違うランジェリーを選んだ。 透けるレースの黒。肌に乗せた瞬間、私の中の何かが目を覚ました。
その感覚を確かめるように、鏡の前でゆっくりと身体を動かす。 わずかに胸を張る角度、髪の濡れた艶を強調する角度。
そしてまた、窓際に立つ。
彼の部屋の灯りがついている。 私は、カーテンを閉じずに、そっと開いたままにする。
肌の上を夜風が撫でていく。
ガラス越しの視線。見られているかもしれない、という意識。
その“かもしれない”だけで、身体の奥が疼き始める。
私の中に、確かに存在していたはずの“女”が、 その夜から目を覚まし始めたのだった。
【第二章:沈黙の心理戦】
視線のやりとりは、やがて儀式のようになっていった。
夜。シャワーのあと、ランジェリーに袖を通す。レースの感触が肌を撫でるだけで、身体の奥が微かに脈を打つのを感じる。
私は窓際に立ち、光を背にして鏡の前に腰を下ろす。髪を梳く。唇に艶を乗せる。 視線を感じる。
カーテンをほんの指二本分だけ開けたまま、彼の部屋の灯りがついているのを確かめる。
――今夜も、見ている。
彼の影は窓辺に止まり、微動だにしない。
私はランジェリーの肩紐をゆっくりと滑らせ、片胸をさらけ出す。冷たい空気が先端に触れ、ぴり、と甘い刺激が走る。
ベッドに横たわり、太ももをゆっくりと開き、指先がレースの内側へと忍び込んでいく。
彼は動かない。けれど、私は知っている。
彼の瞳は今、私の指先に絡まっている。
羞恥と高揚が交錯し、息が細くなっていく。
彼の影がふと動く。椅子に座り、下腹部へと手を伸ばしたのが見えた瞬間、私の身体の奥が弾けた。
ガラス一枚を隔てて、私たちは同時に絶頂した。
触れていないのに、確かに交わった。 その夜、私は“見られる快楽”の果てに、女として燃え上がった。
【第三章:触れて、交わって、赦された夜】
翌日、インターホンが鳴ったとき、私はそれを直感で“彼”だと分かった。
モニターに映る青年の表情は、どこか火照りを帯びていて、まっすぐに私の名前を呼びかけるように見つめていた。
「……よかったら、これ……実家から届いた果物で」
紙袋の中身を確認することなく、私は言った。
「入って。少しだけなら、お茶でも」
沈黙のなかで湯気を立てるカップと、ワイングラス。 彼の指先が、私の膝に触れた瞬間、身体が無意識に反応して震えた。
何も言わず、立ち上がる。 寝室への扉を開け、彼を振り返らずに誘う。
彼の手が私の肩紐をほどく。 レースが肌から滑り落ちるたびに、空気が私の女を目覚めさせる。
唇が、鎖骨をなぞり、胸の尖りにそっと触れ、舌が円を描くたびに息が熱くなる。
彼の舌が、私の内ももをゆっくりと這う。 深く、甘く、柔らかな愛撫に、私は腰を浮かせた。
吐息を呑み込みながら、私は指先で彼の髪を撫で、そして、迎え入れる。
ゆっくりと重なる身体。正常位。 奥へ、さらに奥へと、彼が入り込むたび、身体の奥が啼くように震える。
後ろから。背を反らされ、胸を包まれながら、私は貫かれる悦びに溺れる。
そして私が、彼の上に跨ったとき。 胸を重ね、手を絡め、波を起こすように揺れながら、彼の奥へ、さらに深く私を沈めていく。
甘く長い絶頂。
果てたあと、私は彼の胸に頬を預け、しばらく静かな眠りに落ちていった。
触れてしまった。 でも、私は赦されたと思った。 女として、存在を感じさせてくれたあの夜の熱は、まだ私の内側で脈打っていた。



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