【第一幕】視線に触れる、初夏のほころび
カーテンが揺れたのは、ただの風ではなかった。
あの夜、私は確かに誰かの視線に、身体の奥をそっと撫でられたような気がしたのだ。
東京郊外の小さな住宅街。夫と娘との静かな日常。
43歳になった私は、穏やかで、どこか薄く色褪せた生活を送りながら、それを当たり前と思っていた。
あの夜も、夫は出張で留守だった。
寝室で、シャワーの後の火照った肌をバスタオルで拭いていたときのこと。
ふと気づくと、窓の向こうに光があった。向かいの家の二階──その窓辺に“彼”がいた。
新しく越してきた大学生。まだ二十歳そこそこの、あどけなさと男らしさを行き来するような眼差し。
彼はこちらを見ていた。いや、見ていた“気がした”だけかもしれない。
でも、胸元を拭う手が止まり、私はとっさにカーテンに手をかける。
けれど、その一瞬、視線が確かに重なった気がした。
「見られた」よりも先に、「見せてしまった」という感覚が私を突き抜けた。
その夜、ベッドに横たわりながらも、私はなかなか眠れなかった。
あの目が脳裏から離れなかった。
不思議な興奮が、じわじわと下腹を疼かせる。
わたしは、今夜──女として、見られていた。
それが、すべてのはじまりだった。
【第二幕】“見られる”ことで、女に戻っていく
それから私は、窓辺に立つとき、少しずつ変わっていった。
レースのカーテンは半分だけ開けるようになった。
部屋の明かりは落とさず、肌の輪郭が、ぼんやりと浮かぶ程度の陰影を保つ。
バスタオルの裾が、太腿の中ほどで揺れるように──わざとらしくないように、けれど確実に“見える”ように。
自分でも呆れるくらい慎重に、けれど確信をもって、私は見せていた。
その“ゲーム”が、本物になったのは数日後。
庭でゴミ出しをしていた私に、彼が不意に声をかけてきた。
「こんばんは。…あの、夜、音楽、聴こえてました」
ワインに酔った夜、無意識に流していた音楽。
その言葉に、私は心臓を撃ち抜かれたように凍りついた。
彼は笑っていなかった。ただ、まっすぐに、私を見ていた。
「そう。少し酔ってたから、うるさかったかしら。ごめんなさいね」
何でもないように返した声が、震えていたのを自覚していた。
彼が私の“演技”を見抜いていた。
私もまた、彼に“試されて”いた。
それからの私は、何かに取り憑かれたようだった。
着替えのときも、髪をほどくときも、鏡の前でわざと“動き”をつける。
自分の身体を確かめるように、ゆっくりと、艶やかに。
視線の向こうに、彼がいると信じることで、私はどんどん女に戻っていった。
そして、ある夜──私はすべてのカーテンを、開けたままにした。
【第三幕】ゆるされない夜、落ちてゆく心と身体
その夜、私は何もかもをさらけ出すつもりだった。
バスローブ一枚。
それだけを羽織り、私は照明の落ちた部屋で、窓辺に立った。
レース越しの曖昧な距離にもう満足できなくなっていた。
もっと、確かに見られたい。
もっと、深く覗きこまれたい。
そして、見ているあなたに──身体ごと、支配されたい。
鏡の前に立ち、私はゆっくりと腰紐をほどいた。
ローブがふわりと落ち、肩を滑り、乳房のかたちが月明かりに浮かび上がる。
下腹部の疼きはすでに熱を持ち、私は自分の脚の間に指を伸ばしていた。
息を殺しながら、私はただ、あの窓の奥を見つめ続ける。
――彼が、いた。
視線が、合った。
その瞬間、指の先に電流が走った。
ああ、見られている。私は今、確かに見られている。
その実感が、全身を震わせる。
指を動かすたびに、呼吸は乱れ、脚がふるえ、快楽がせり上がってくる。
彼の影が、わずかに動いた気がした。
その仕草だけで、私は堕ちていった。
視線と、熱と、羞恥と。
それらすべてに突き動かされて、私はひとり、静かに絶頂を迎えた。
背筋を反らしながら、声をこらえ、ただ震えながら、私は濡れた指を胸に押し当てた。
――女であることを、思い出させてくれて、ありがとう。
カーテンは開いたまま。
窓も、心も、すべて開いたまま。
私はもう、あの夜の前には戻れない。
罪と悦びのあいだでほどけていく、女としての自分。
その静かな崩壊が、なにより甘美で、なにより鮮やかだった。



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