羞恥に濡れた、ランジェリー。 三浦歩美
【第1部】鏡の中の微熱──閉ざされた午後に息づくもの
36歳、加瀬紗代。
午後の光は、レースのカーテン越しにゆっくりと床を撫でていた。洗い立てのシーツが乾く匂いと、アイロンの熱の残り香が混じる。夫が出張に出て三日目。
家の空気が、少しずつ私の体温と同じ速度で冷えていくのがわかる。
リビングの時計の針が、やけに大きな音を立てて動いた。
あの音を聞くたびに、「私はいま誰のためにここにいるのだろう」と思う。
日々の家事は惰性の繰り返し。夫の好みに合わせた料理も、もう数年前から味見すらしていない。
きっかけは、ほんの小さな衝動だった。
通りかかったデパートのランジェリー売り場で、ふと鏡越しに見た自分が、ひどく無表情だったのだ。
そこにいたのは“女”ではなく、“家事の続きのような生きもの”だった。
気づけば、私はレースの下着を手にしていた。誰に見せるつもりもないまま。
今日、それを初めて身に着けてみた。
淡い桜色の生地が、肌の上で静かに馴染んでいく。
肩紐をかける指先が、わずかに震える。
鏡の前に立つと、そこには知らない女がいた。
頬がうっすらと紅く、目の奥が少し湿っている。
──誰かに、見られている気がした。
カーテンの隙間から外を見る。
隣の家のベランダに、誰の姿もない。
それでも、見られたような気配だけが身体に残る。
その錯覚が、どうしようもなく心をざわつかせた。
私は鏡の前から離れられなくなる。
指先が、無意識に髪をかきあげ、鎖骨のあたりをなぞる。
胸の奥で、小さな鼓動が暴れ始めた。
羞恥と快感の境目が、曖昧に溶けていく。
【第2部】視線の温度──見られるという快楽の境界で
午後四時を過ぎたころ、光の角度が変わった。
カーテンの隙間から差し込む陽射しが、私の足元を静かに照らす。
鏡に映る自分は、どこか落ち着かない表情をしている。
──誰かに見られている気がして仕方がなかった。
ベランダに出ると、空気が肌にまとわりつく。
風の中に、洗剤の匂いと、どこか甘い草木の香りが混じっている。
隣家の窓のカーテンが、わずかに動いた。
そのほんの小さな揺れが、鼓動の速度を狂わせる。
「……気のせいよ」
自分にそう言い聞かせながら、私は視線を外した。
けれど、胸の奥では何かが目を覚ましていた。
見られることへの恐れと、知られたいという欲の奇妙な共存。
夜、夫から短いメッセージが届いた。
“明日も帰れそうにない。夕飯は適当に。”
その一文の冷たさに、心が乾いていく。
私は思わず、鏡の中の自分に問いかけた。
「あなたは、いったい誰に綺麗だと言われたいの?」
返事はなかった。
ただ、目の奥で何かが光った気がした。
それは、長いあいだ失われていた“女としての私”が、
ゆっくりと姿を現そうとしている証だった。
【第3部】光の向こう──わたしがわたしに戻る瞬間
夜の帳がゆっくりと街を包み、窓の外に灯が点る。
私は一日の終わりを感じながら、鏡の前に立っていた。
そこに映るのは、昼間よりも確かな“自分”だった。
頬の赤みも、指先の震えも、もう隠そうとは思わない。
カーテンを少しだけ開ける。
夜風が、肌の表面をなぞる。
視線の先に隣家の明かりが見えた。
それがたとえ偶然でも、私には「見られている」と感じられた。
そしてその感覚が、不思議と心地よかった。
見られるということは、存在を確かめられるということ。
私はずっと、誰の目にも映らないまま、
“妻”という役の中で自分を溶かしていた。
いま、鏡の中の私は、初めて呼吸をしている。
羞恥は消えず、けれどそれが美しい。
光の輪郭が、私の体をやわらかく包み、
新しい朝のような気配が胸の奥に灯る。
誰かの視線を必要としなくても、
私はここにいる。
そう思えたとき、
長く閉ざされていた心の扉が、静かに音を立てて開いた。
まとめ──見られることから始まる再生
人は誰かの視線によって、初めて自分の輪郭を思い出す。
加瀬紗代にとって「見られる」という出来事は、羞恥でも誘惑でもなく、
長く眠っていた“自分という存在”を呼び起こすための光だった。
鏡の中で、彼女は他人の目を借りてではなく、
自分自身のまなざしで自分を見つめ直した。
夫とのすれ違い、家の静けさ、体温のない日常。
そのすべてが、彼女をここまで運んできたのだ。
羞恥は罪ではない。
それは、まだ感じる力が残っている証拠だ。
そしてその感覚を通してしか、人はほんとうの意味で“生きている”と知ることができない。
夜が明ける。
新しい光の中で、紗代は小さく息を吸う。
それは、女である前にひとりの人間として再び始まる呼吸だった。



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