夜の気配が、ひときわ濃くなった気がした。
その日、私は自分でも理由がわからないまま、キッチンの手を止めていた。
換気扇の音だけが、規則的に空間を鳴らしている。
その背後から、チャイムの音が静かに鳴った。
「こんばんは」
いつも通りの声。でも、その目だけは、少し違っていた。
彼──雄大(ゆうだい)くんは、息子の家庭教師だった。
25歳、独身。社会人になってまだ間もないというのに、落ち着きのある物腰と、少年の名残を感じさせる笑顔のバランスが不思議で、出会ったときから私は彼を「特別な存在」として見ていた気がする。
「おじゃまします」
「どうぞ。今日は暑かったわね」
「はい、でも…恵子さんの家に来ると、涼しく感じるんですよ」
何気ない言葉。でも、そんな些細なやりとりが、今の私にはたまらなく嬉しかった。
私は今年で49歳。
夫は地方に単身赴任していて、息子は受験に忙しく、家の中には会話が減った。
そんな中、週に一度、彼と過ごす静かな時間が、私の心を穏やかに満たしてくれていた。
けれど、それだけでは済まされなくなる日が、来るとは思っていなかった。
「来月、転勤になりそうです。県外の子会社に出向することになって…」
夕食後、彼がぽつりとそう言った。
私は、箸を置いた手をどうしても動かせなかった。
「…そう、なのね」
「はい。急な話で」
彼の声が、少し震えていた。
私は立ち上がり、キッチンに戻ってお茶を淹れた。
カップを差し出したとき、ふと手と手が触れた。
熱かった。彼の指先も、私の心も。
「寂しくなります」
「……」
「もっと、あなたと話したかった。もっと、あなたのことを知りたかった」
その言葉に、胸が詰まった。
返事をしようとしても、喉がうまく動かない。
代わりに出たのは、ため息のような小さな声。
「…私、今夜はひとりなの」
自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。
けれど、彼は目を逸らさずに、私の言葉を受け取ってくれた。
夜10時。
私はお風呂に入り、髪を濡れたまま、バスタオル一枚でリビングへ戻った。
彼はテレビの前に座っていたが、私の姿に、目を見開いた。
「どうしたの…?」
「…最後の夜だから。ちょっとだけ、わがままさせて」
私は彼の前に膝をつき、そっと彼の手を取った。
その手が、震えている。
私の肩に、彼の手が優しく触れた。
そして、ためらいがちに指が鎖骨をなぞり、やがてタオルの端に触れた。
「……いいんですか」
「ええ。今夜だけ。忘れさせて」
その瞬間、タオルが床に落ち、私たちはお互いの体温に触れた。
彼の唇は、想像を超えて柔らかく、そこに宿る熱は、焦がすというより、私の内側を一枚ずつ、丁寧に溶かしていくようだった。
唇が重なり、舌先がそっと触れ合った瞬間、私は確かに感じた。
崩れかけていた自分の中の堤が、音もなく崩れ去っていくのを。
彼の手が頬をなぞり、首筋へ。
まるで初めて触れる宝物を扱うように、慎重で、それでいて、どうしようもなく切実だった。
指先が、鎖骨を這い、胸元の柔らかい膨らみに触れたとき、私は小さく啼いた。
その声に彼はわずかに目を細め、私の耳元で囁いた。
「ずっと…こうしてみたかったんです」
「私も……ずっと、あなたを見てた」
もう言葉はいらなかった。
彼の手がゆっくりと私の太ももを撫で上げ、身体の奥へと誘うように開いていった。
その動きの端々から、抑えてきた衝動と、私への敬意が同時に感じ取れた。
開かれた私の奥に、彼の身体が重なり──
その瞬間、私は思わず息を呑んだ。
それは大きく、熱く、想像していた以上の存在感だった。
押し広げられる感覚。
自分の内側が、まだ知らなかった空白に満たされていく──そんな錯覚すら覚えるほどだった。
「痛くない…ですか?」
彼の声は震えていた。
けれど私は、首を横に振り、目を細めて答えた。
「このくらいじゃ…まだ足りない。もっと……忘れさせて」
彼の腰が動き始める。
ゆっくりと、私の奥の奥まで押し込むように。
そのたびに、異物感が快楽へと形を変え、波のように押し寄せては引いていった。
彼のそれは、ただ大きいだけではない。
角度も深さも、まるで私の身体の形を記憶しているかのように、ちょうどいい場所を、的確に突いてくる。
その動きが深くなり、速くなるにつれて、私は自分の内側が震え始めるのを感じた。
奥を擦るたび、子宮の辺りが甘く、痺れるような感覚に包まれ、意識が霞む。
「そんなに……奥まで……」
「ごめんなさい、でも……止められない」
私の声は、もはや言葉になっていなかった。
熱と快感に打ちのめされ、彼の存在に全身を預けるしかなかった。
彼の手が私の腰をしっかりと抱え、逃がさないように引き寄せた。
深く、そして強く──
そのたびに、私の中の渇きが潤されていく。
まるで、長い飢えを癒すためだけに、彼がここにいるように。
やがて彼の動きが、震えるように速まった。
「…中で、いいですか?」
「ええ…私の中に、全部ちょうだい……」
その瞬間、彼の腰が深く押し込まれたまま止まり、彼の中で熱が爆ぜるのを感じた。
私の奥に注がれる命の雫は、脈打つように、何度も、何度も私の中を満たしていく。
熱い液体が私の内壁にあたって広がっていくたびに、快感とは別の、満たされたという実感が身体を包みこんでいった。
彼の名前を、私は口にできなかった。
けれど、その名は、確かに私の身体の奥深くに刻まれていった──。
夜が明けた。
私はシーツの上で、彼の胸に頬を当てていた。
彼の鼓動が、静かに、確かに、生きていた。
「また、会えますか」
「…わからない。でも、もう一度だけ…私を思い出してくれるなら、それでいい」
彼は黙って頷き、私の髪にキスを落とした。
あの夜、私は確かに罪を犯した。
でもその罪は、私を生かした。
女として、心が死にかけていた私を。
彼の名前は、もう呼ぶことはないかもしれない。
でも、あの時抱いた感情のすべては、私の中で今も熱を持っている。
それは、忘れてはいけない夜──だけど、決して後悔などではない。



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