バーベキューの煙が立ちこめる夕暮れの庭。子どもたちの笑い声、ママ友たちのはしゃいだ声、それを少し離れた場所で見守る男たち。その中に彼はいた。
千夏の夫、優真(ゆうま)さん。
彼の名を、私は何度も心の奥で反芻した。背が高く、無駄な筋肉のないしなやかな身体つき。笑えば目尻に柔らかい皺ができて、けれどその奥の瞳は、どこか冷めているようで、すべてを見透かしているような気がした。
「美怜(みれい)ちゃん、これ、焼き加減どう?」
声をかけられた瞬間、私は背筋を伸ばし、微笑んで応えた。「ちょうど良いです、ありがとう」――そう言いながら、手元の皿よりも、その指先、その手首の血管を無意識に目で追ってしまっていた。
胸の奥がじわりと熱くなる。彼は私の視線に気づいたように、ほんのわずか、唇の端を上げた。
それは、始まりの合図だったのかもしれない。
夜も深まり、千夏たちは家のリビングでスイーツを囲み、私は庭の片づけをしていた。少しだけ、風にあたりたかった。火照った顔を冷ますふりをして、ひとりきりになるための時間を探していた。
そのとき、物置の扉が少しだけ開いているのに気づいた。
中から漏れる気配。私は吸い寄せられるように、扉を押した。
「……ああ、ごめん、美怜ちゃん」
そこにいたのは、優真さんだった。スチール缶の中の炭をかき混ぜていた彼の手が止まり、私に目を向けた。無言のまま、視線だけが絡みつく。
「熱いね、ここ……」
私がそう言うと、彼はかすかに笑って言った。
「この狭さと暑さ、嫌いじゃないよ。たとえば、ふたりきりなら――」
息が止まる。扉が閉まり、周囲の音が遮断される。まるでこの物置が、別の世界へと変わったようだった。
「優真さん、だめ……こんなこと……」
「じゃあ、帰る?」
彼の手が、私の頬にふれた。体温よりも少し高い指先が、髪を耳にかけ、そのまま輪郭をなぞる。声はないのに、その仕草がすでに問いかけていた。
「帰れないくせに」
心の奥の欲望を、見透かされた。口づけは突然だった。浅く、そして深く。最初は躊躇いがあり、次第に貪るように唇を食んだ。吐息が重なるたび、思考が溶けていく。
「ここ、狭いよ……誰か来たら……」
「だったら声、出せないね」
彼の手が、私の背中を這いながら、ブラウスの裾をめくる。腰に触れたとき、息が漏れた。
「美怜ちゃんの声、もっと聞きたいな」
耳元で囁かれるその声に、心が軋む。だけど身体は、もう抗えなかった。彼の膝の上に導かれるように腰を下ろすと、スカートの裾が乱れ、空気が生肌に触れた。
汗ばんだ脚が絡まり、彼の手が下着の上から私の形を確かめるように動く。
「……こんなに、もう……」
羞恥と快感が同時に襲ってくる。こんな場所で、ママ友の夫と、物置で――そんな背徳感が、かえって官能を引き立てていた。
「ねえ、声、我慢できる?」
彼の指が、私の内側を探る。ぬるりと入り込んでくる動きに、背筋が跳ねた。
「んっ……だ、だめ……そんなの……」
「やめる?」
「……やめないで……」
その瞬間、自分がどれほど欲していたかを知った。彼の手が、私をほどいていく。奥の奥へ、届く場所へ。
彼の唇が首筋に落ち、私の胸にかぶさる。布越しに感じる舌の動き、ブラの中に滑り込む熱。震える指がフックを外し、重なる肌の間に、じっとりとした淫靡な空気が満ちていく。
やがて、彼が私の身体の奥に侵入してきた瞬間、息が止まった。
「奥、すごく感じるんだね……」
「だ、だって……優真さん、そんな……あぁっ……」
彼の動きはゆっくりで、でも確実に深く。私の身体を知るように、見透かすように。触れられるたび、奥が締まり、快感が波のように寄せては返す。
吐息と喘ぎが交錯し、物置の静寂を破る。誰かに聞かれるかもしれない――そんな恐怖すら、もう官能の一部だった。
「中で……?」
「だめ……でも、お願い……もっと……」
私の声が震え、彼の動きが速くなる。足元の絨毯が湿っていく。爪が彼の背中に食い込み、腰が勝手に動き出す。
「美怜……美怜……ッ」
「ん……もう、だめ……いく……っ」
その瞬間、私は自分が溶けてなくなるような感覚に包まれた。快楽の絶頂で、名を呼ばれたこと。それだけで、涙が出た。
事が終わったあと、私は彼の腕の中で、呼吸を整えていた。
「ごめん……」
「やめて、謝らないで……私も、したかった」
彼が私の髪を撫でる。静かな夜に、互いの鼓動だけが響いていた。
「また、会える?」
「……わからない。でも、今日のことは、一生忘れない」
物置の扉を開けたとき、夜風が私たちの火照りをさらっていった。
千夏の笑い声が、遠くで聞こえた。
その声に、私の心がぎゅっと締めつけられた。
でも、あのとき私はたしかに“女”だった。
名前を呼ばれ、欲望に応え、何もかも脱ぎ捨てて、彼に抱かれた。
そして――その夜の記憶は、今でも私の中で、淫靡に、熱く、生きている。


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